2015/11/05

運命の創られ方(後半)


 宇宙の秘密を知りたければ、
 エネルギー、波動、周波数の点から、
 宇宙を考えなさい。
               byニコラ・テスラ

 この宇宙で私たちは物質の周波数に同調しています。
 しかし、同じ部屋の中に
 無限数の並行現実が私たちと共存しています。
 ただ、私たちはそれらに
 周波数を合わせることができないだけです。

               byスティーブン・ワインバーグ
              

 いかなる惑星の運行も、太陽や月の相の力も、
 天上の主要部でさえも、
 人間の意志の統治以上のものではない。
 創造者は人間が初めて生きた魂となったとき、
 人間のために選択の力を与えたのだ。

 占星学的にも、職業的にも、また環境といえども、
 実体の意志や決心に勝るものはない。

 いかに厳しい状況の中に生きていても、
 その実体の意志にまさる衝動はないし、
 カルマでさえも意志には叶わない。

               byエドガー・ケイシー


・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・


ええっと、まず前回記事の一部分のフォローから。


三次元に顕現することは、
まず五次元(思考)が先で、次に四次元(感情)に生まれたもの。
建設的な考えと理性に導かれた感情から生まれたエレメンタルは、
三次元で顕現するのが早いですし、
後の人生の障害になることもほとんどありません。


この部分なんですけれども、
講座では、

「四次元のほうが三次元に近いので、
四次元で創造された(感情が主体となった)エレメンタルのほうが、
三次元に顕現されるのが早いよ」

と説明していたりします。

なので、講座を受けて下さった方は混乱してしまうかも知れません。
この辺り不親切というか、説明不足ですみません。

確かに四次元において、
ネガティブな感情を核にして創られた、
とても低い波動のエレメンタルは、
即効性があるというか、あっという間に、
三次元(現実)に顕現されたりするんですけれども、
そちらのほうが早く「実現された」と捉えるのは、
私たちが三次元の世界をベースとした存在だからで、
自分の身に起きること、
テリトリー内だけが判断基準だからなんですね。

実際は五次元を主体として生まれた、
波動の高いエレメンタルのほうが顕現は早いし、
エレメンタルとしての寿命も長い。
けれど、思考欲望型のエレメンタルは、
創造主の利己的な欲望を満たすために創られたものではないので、
創造主の身の回りで「確認」できるとは限らないのです。
たから、「顕現」されたかどうか、判らないものが多い。

そのエレメンタルは、
見ず知らずの誰かのために働いたり、役に立ったり、
適切な人のもとに行って、使われる可能性もある。


そして、低い波動から創られたエレメンタルにしても、
高い波動から創られたエレメンタルにしても、
一度使われたり、一度も使われることのないエレメンタルにしても、
長い間旅をして滋養を蓄えて成長をして、
いつか(再び)創造主であるあなたの元に戻り、
使われる日が来るのです。


・・・って、判ったかしら?
いずれしても、判る人にしか判らない書き方ですが。
(生徒さんはレッスンのときに聞いてね)

判らない人には判りにくい説明でごめんなさいっっっ。


・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・



 いまこそ、あなたが思い描いた人生を生きるときである

                byヘンリー・ジェームズ


 明けても暮れても考えている事柄、それがその人なのだ

                byラルフ・ワルド・エマーソン


 心は、それ自身が密かに抱いているものを引き寄せる
 あなたは自分が密かにもっとも愛しているものへと
 常に引き寄せられることになる
                 
                byジェームズ・アレン


 他人の人生に与えたものが
 そのまま自分の人生に戻ってきます

                byエドウィン・マークハム

 
・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・


さて、前半の部分で、
人の運命すなわち人生を形作っていく構成要素には、

①今生の人生計画書(達成したいノルマ一覧)
②カルマのレッスン(過去生の繰越し分と新規に日々追加されるもの)
③鏡の法則である「引き寄せの法則」
 ※その人の思考と想念が日々作り出しているエレメンタルにより

があるということをお話しました。


この①②③は、それぞれ無関係ではなく、
お互いに関係しあっているので、
切り離して考えることはできません。

①と②の違いを明確に説明するのは難しいですし、
②と③の違いにしても同様で、
①と③も複雑に絡み合っていて、

②のレッスンがなかなかクリアできないうちに、
大きく膨らんで、類似の事象たる様々なことを引き寄せて、
③をたくさん作り出して収集がつかなくなることもよくあることですし、

そして③の引き寄せによって、
カルマのレッスンが創られていくことももちろんです。

③で創られたことが、質と量によっては、
①に加わって、後々の人生に影響を及ぼすほどの
長期計画になっていくこともあります。


うーん。

自分でも書いてて、この説明では不親切すぎるかと思ったり。
ていうか、文章にするのは難しいですなっっっ


例えば、そう。
もうひとつここで、カルマの話。

ある人がとある人生で、裕福な家の娘に生まれました。
何不自由なく生きていた彼女。
ある日、たまたま街中で、売春婦を見かけます。

それを見た彼女は、
「まあ、イヤラシイ。
身体を売ってお金を稼ぐなんて、なんて恥しらずなんだろう。
あの女には自尊心や誇りというものがないのかしら・・・」

と、心の中で蔑んだのでした。
(さすが世間知らずのお嬢様っっ汗)

そして、彼女の「春を売る女」たちへの偏見は、
生涯変わることはありませんでした。


するってーと・・・


次の人生で、彼女は
貧しい家の娘に生まれ、
家族を失うために、身売りさせられ、
売春宿で働くことになりましたとさ。

これはカルマの法則が働いた実例です。

「そーか、そーか・・・
あなたという人は、相手の事情も知らずに、
勝手に決め付けて差別するわけなんだね~。
なら、相手の気持ちや立場を知る経験、いっちょしてみるか。
自分がその売春婦になっても、同じこと、言えるのかね?」

という具合に。


この場合、②であるカルマのレッスンは①でもあると言える。
なぜその職業を選択することになったのかという、
人それぞれには事情があるということなど、
他人の背景を想像したり思いやったりということを
知ることが②でもあり、
①のノルマ一覧表に記載されていることの一つでもあるから。

でも、せっかく「学ぶ」機会を得たのに、
自分を売った親を恨んだり、
仕方なしとは言え、その職業についた自分を嫌悪したり、
同僚の女性たちに対して偏見や差別意識を持ったりしたならば、
②のレッスンはひたすら「追試」「追試」「追試」で、
パターンはどんどん繰り返され・・・
その経験にともなって創られる③のエレメンタルも大量に量産され、
ってことになってしまう。


・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・


 怒りを抱くということは、
 誰かにそれを投げるつもりで
 熱い石炭を持っているのと同じことです。
 火傷をするのはあなたです。
                 byゴータマ・シッタルダ

 自分を律することが出来る人は、 
 楽しむことで哀しみを終わらせることができます。
 私は自分の感情に翻弄されたくありません。
 感情を使い、楽しみ、支配したいです。

                 byオスカー・ワイルド
     
 感情が秘密です。
 気分や感情に気をつけなさい。
 感情と目に見える世界との間には、
 切り離せない関係があります。

 気持ちを変える事は運命を変えることです。

 外からやってくるものはありません。
 すべてのものは内側から来るのです。

                 byネヴィル・ゴダード

                      
・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・


私たちが人生で痛い思いをするのは、
主にカルマのレッスンによってなのだけれども、
大体においてそれは、「愛の欠如」が原因で引き起こされる。

単なる失敗もカルマのレッスンを創りだすことはあるけれど、
愛の不足が招いた事象と違って、さほど痛みを伴うことはない。

①のノルマは、決してプレッシャーを引き起こすものではなく、
そこに②が含まれていなければ、
人生を計画的に生きるために、そして自分の心が強く欲して、
望んだことを達成するための目標であり願望リストでしかないから。

③にしたって、ネガティブなものでなく、
ポジティブでプラスなエレメンタルであれば、何ひとつ問題はない。

②のレッスン、愛の不足と欠如がもたらす
思考と想念と行動の誤りさえなければ、
カルマのレッスンで痛い思いをすることなく、
ただ、自分が望んで欲した現実を顕現して、
それを体験して生きるだけだ。

だから、人生を複雑なものにしているのは、
誰でもない当人自身だったりする。

運命はその人に自由意志を与えているので。



②のレッスンをクリアし、
①の目標に日々取り組んでいけば、
人格や心を強く鍛えていくことが出来る。
そして、③という、自分が創造していくもの・・・
自分の思考と感情に注意を払って、
望まないものを考えるのをやめ、
自分の人生に与えたいと願うことだけに集中していけば、
トンネルの出口は見えるし、顕現される現実は変わってくる。



もちろん、③で創られるものは、
今その人が自覚している思考や想念だけによって、
創られたものだけでなく、無意識の情動・・・そして、
遠い過去(過去生)に創られたものが大量にあるという事実がある。
それは時間を超え、空間を超越する。

だからこそ、常に私たちは
自分の考え、感情に責任を持たなくてはいけない。
自分が創ったものはすべて自分に戻ってくるので。



①のノルマ・・・には、
かつてあなたが切望したこと、
そうなりたい・・・と情熱を注いだ事柄も含まれていたりする。
①に発展することとは、建設的な思考によって生まれた③
つまり思考欲望型エレメンタルと、
魂の役割の刷り合わせによって目標設定されるのだけれども、

③で創られた欲望思考型エレメンタルは、①にはならず、
鏡の法則(=引き寄せの法則)のまま、
その人生で顕現されたり、次の人生や、
さらに何世代も時間をやり過ごして、久遠のときの彼方の先に、
顕現されることが多々ある。


例えば、今の人生で、
あなたがものすごく執着して欲しがっているものがあったとする。

けれども、あなたには
①で用意された状況や②のカルマのレッスン、
その他、優先順位の高いことがたくさんあったりして
それは後回しにされ、様々な入り組んだ事情によって弾かれ、
「今」ではなく、次の人生、あるいは次の次の人生で
ようやくそれを手に入れることになるのかも知れない。

もしくは、今生だとしても、
20歳の頃に望んだものが顕現するのは、
50年後の70歳になってから・・・かも知れない。

それを手にしたとき、
「今頃じゃ意味が無い!」とあなたは思うかも知れないが。

その場合、50年という歳月がかかってしまったのは、
②のレッスンをあなたが無視し続けて、
①のことに向き合い、取り組むことがなかったり、
その他の③のエレメンタルのほうに、
より強くのバワーを注いで、そちらを育成することのほうが
忙しかったからかもしれない。

あなたが望んだことは遅かれ早かれ顕現するし、
それがいつになるのかは、ちゃんと法則が働いているので、
あなたがあなたの人生と自らの感情に対して、
きちんと向き合って、責任を持ち、
主導権を握ろうとしないことには、
時間と空間の混乱を収めることはできない。


もちろん、法則を学び、それに対する知識を身に付けること、
そして実践して確かめて、経験を蓄えていくことも、
必要なものだけをピックアップして、余計なものを切り捨てていく、
大いなる助けとなり、智恵になるだろう。


・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・


この世界は
 私たちの想像のキャンバスに過ぎません

              byヘンリー・デビッド・ソロー


 想像が創造の始まりです。
 心から欲しいものを想像し、
 想像するものを望み、
 最後にその望みを創造するのです

               byジョージ・バーナード・ショー


 人は、
 理由があって生きている訳ではない
 ただ、感謝し、
 喜ぶことが人生の目的である

               byゴータマ・シッダルダ 


 求めよ、さらば与えられん
 与えよ、さらば与えられん
 なぜなら、
 汝の秤で量られるものが
 汝にももたらされるからだ

               byイエス・キリスト


・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・


私たちは自分がなりたいと思う人物になることができるし、
自分が欲するすべての欲望を叶えることができる存在です。
そのために私たちは人としての姿を持って、
この三次元の世の中に生きています。

カルマのレッスンは、
私たちが本来あるべき姿に戻るための法則であって、
私たちを痛めつけ、翻弄するための法則ではありません。

私たちは、苦しむために、絶望を味わうためだけに、
この世に生まれたのではありません。

理想を叶え、自らが望むものを与え、
幸福感を感じ、悦びを見出すために、
そして誰でもない、自分だけの、
オリジナルの人生を創造して生きるために、
宇宙の法則が存在しています。

私たち人間は、無から有を生み出すことはできませんが、
私たち自身の感情や思考といった創造物によって、
自らの人生を、運命を創っていく力が与えられています。

私たちには自由が与えられているのです。

運命も人生も、他者や神から与えられたレールではありません。
自らが自らの力によって創造し、自分に与えていくものなのです。



ここでまたまた例え話です。

ある2人の人物が、音楽家になりたいという、
同じ夢、目標を持ったとします。

Aは、楽譜は読めないし、どの楽器も弾いたことはありません。

Bは、楽譜こそ読めないけれど、オカリナを吹いたり、
太鼓を叩いたりはできて、ちょっとしたセンスがあったりします。

この場合、
単純に条件からいってBのほうが夢に近いことが判るでしょう。
同じ目標を持っても、目標を持った時点で、
すでに素養の差があるというのがわかると思います。

Aのほうが楽器の演奏技術を習得するのに時間がかかり、
Bのほうが、習得に要する時間が短いというようなことで、です。

もちろん、現実にはその他の要素も加わるので、
単純にBのほうが有利ということは言えませんが。
何故、こんな例え話をするのかというと、
よく「あの人は生まれながらにして、とても恵まれている」とか、
何もかもを備えた人として、不公平だとばかりに
他人に妬まれてしまう立場に生まれる人がいたりします。

また、やれ「天才だ」「神童だ」などと、幼少期から、
ちょっとの努力で様々なこと、あるいは一分野において、
特別な才能やスキルを発揮して、
何かの能力をあっという間にマスターする人とかも。

けれど、これらの人たちは、
その人生に至るまでに、
基礎を養ったり、必要な経験をするなど、
「積み重ねて」きたことがあるからなんですね。

ひとつの人生で、
何か特別な才能をいきなり発揮する人というのはいません。
もちろん、その能力や技術自体、内容にもよります。
未経験者でも数年、数週間で習得できるようなこともあれば、
数年どころか数十年経っても、
半人前になるのがやっとの技術もありますので。

でも、数十年経っても半人前になれるのがやっとのことを、
数年でマスターできる人がいるとしたら、
それは過去生で経験したとか、基礎を積んだとか、
その技能や技術を習得するのに有利な学びがあったとか、
そういう積み重ねがあったからです。


何か目標、なりたい自分とか、叶えたい願望を持ったとき、
なりたい自分になれたり、願望が叶う時期というのは、
その時点で、
なりたい自分と今の自分の間にどれほどの差があるのか、
その願望を叶えるために、足りないものがどれほどあるか、

・・・によって左右されます。

同じ職業や夢や物を望んだとしても、
それぞれの人が自分に望んだこと、その望みと、
実際の自分・・・現状の自分や現実との間にあるギャップによって、
その人に必要な経験は異なってきます。
(ここに引き寄せの法則が働きます。)

なりたいものが、理想が同じでも、
それぞれの人の資質、素養は異なっているので、
理想に到達する時間、そして必要な経験は異なってしまうのです。

それを不公平とは言いません。

何故なら、「なる」ことを望んだのは当人だからです。

筋肉の発達した人がスポーツ選手になることを望んだときと、
筋力を鍛えたことがない人がスポーツ選手を望んだとき、
スタート地点で開きがありますから、
筋肉がまったくついていない人が基礎の体力作りばかりさせられて、
筋肉のある人が、レギュラーにすぐ入れたとしても、
それは当然のことで「不公平」ではありません。

同じ目標に到達するために必要なことが、
それぞれに与えられただけなのですから。


運命はいつだって公正で、私たちの自由意志を尊重して、
思いつきであれ何であれ、
各自がなりたいと思ったものになることを応援してくれるけど、
文系しか経験のない人が方向転換して急に体育会系のことをしたり、
逆に体育会系しかやってきたことのない人が文系に進むとき、
それなりの困難が生じます。

運命もまったく同じです。
願望が叶うことも、そうです。

やりたいことを実現したり、なりたい自分になるには、
時系列的な手順、過程というものが必要になってきます。

そして、
困ったことに人は、いつも同じことを願うわけではありません。
色んな人生で色んなことを思いついたり、
その場限りの短絡的な欲望を抱いたり、
他人に影響されてある考えに取り付かれたり、
ひとつの人生でもあれこれコロコロと気持ちや方針を変えるなど、
複数の人生で一貫性のない、あれもこれもと次々に
多岐にわたる願望を創造し続けるので、
結果、どれから叶えていいのやら・・・な状態です。

なので、より強いパワーを注がれたものなど、
優先順位の高いものから顕現されることになり、
「過去」の自分が強く願ったことに、
「現在」の自分が翻弄されることになります。

「現在」の自分にとっては興味の無い、
まったく魅力のないものが引き寄せられ、
自分の目の前で叶っていくわけですから。


このあたり、別の機会にまた書くかも知れません。
ここでは書ききれないので(延々と長くなってしまう)





さて、
あなたの人生は、あなたが望み、創ってきたものの結果です。
あなたが感じ、考え、他人に対してとってきた行動の結果です。

なぜ、欲しくはないものについて考えるのでしょう?
望んではいない状況を考え、想像し、言葉にするのでしょう?
自分が他人にされたくないこと、言われたくないことを、
延々と行動しつづけるのでしょう?
自分が受け取りたくないものを、他人に与え続けるのでしょうか。

 
一度、自分についてよく知ろうとしてみることです。
人生が上手く行かないと、思い通りに行かないと嘆くくらいなら、
自分の感情を点検し、自分がどんな感情と思考でできているのか、
自分の人生を創りだしている行動がなんであるのか、
自分の中にあるものを、じっくりとよく見てみることです。

その上で、捨てさるべきもの、改めるべき点を考え、
まずは自分が変わろうとすることです。
誰かを変えようとするのではなく、
自分自身を変えることから初めてください。

自分の人生を邪魔しているものが何であるのか、
自分自身の中にある、何が人生の障害を作り出しているのか、
知ることからすべてが始まります。

そして、次のステップとして、
自分がなりたい自分の姿、理想をよく知ることです。
無いという人は見つけることです。
どんな自分になっていきたいのか・・・
本当に欲しいものが何であるのか、
心の底からの自らの望みをよく知ったうえで、
それを自分に与えようとすることです。



・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・+△□・


 どんな魂も、
 偶然にこの世にやってきたなんてことはない。
 以前に抱いた理想を達成したくて生まれてきているのだ。
 そして今でも、
 その理想の達成を求め続けているわけである。

 実体がこの世でやり遂げるのができるのは、
 自分と、自分がはっきりさせた理想だけによって決められてしまう。
 なぜか?
 あなたは、あなたが人にもたらしたことだけを
 自分のものにすることになる。
 あなたが自分自身生き生きしていたければ、
 その生き生きを他の人のために使って行動しなくてはならない。
 真、善、美について理解するには、
 それを実際に生活の中に生かしてみなければ、
 自分のものにならない。
 それがこの世の法則だからである。

 どの魂も偶然にこの世にきたのではない。
 ちゃんと計画に従ってやってきている。
 あなたは、
 他の人に代わってもらうことのできない、
 あなただけしか上手くやっていけない部分を
 受け持っているのである。
 地上で成果を上げたとすれば、
 それは主の意識に、
 もっとよく合わせられるようになろうとする
 実体によって達成されている。
 そしてその実体が他の人とどう付き合うかによって、
 父の栄光を輝かせられるのである。

                 byエドガー・ケイシー

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