2015/11/05

土地と神さまのエネルギーと伝承と

さて、これもまたクライアントさんから頂いた質問に関して。


ちなみに頂いた質問は、

「ネットなどで龍神さまのことを調べると、
荒い神様だとか難しい神様とか
色々と恐ろしげな事が書いてあるんですが、
××社で感じたエネルギーはそんな怖そうなものではなかったですし、
なんとなく瞑想時に感じる龍神さまのエネルギーも、
親しみがあるようなイメージで出てこられるのですが・・・」

というようなもの。


さてさて、龍神は、
自然界に存在するエネルギー(氣)のひとつの形だったりします。
氣の塊に、人の想念(イメージ)が入って形作られたもの、といいますかね。

神道の、私たちが「神さま」と呼ぶ存在もだいたいそう。

もともと、そのような形態だったというより、
人が「氣の塊」を見て、その形状からイメージして、
存在としての形を与えた、というのが正しいかも知れません。

長くてうねうねしてるから、蛇に見える、
蛇に見えるけどもっと大きいな・・・こんな形に見える、として
創造して龍の絵を書いて、それを見た人が「龍ってこんなん」と思い、
それが流布して、そのような形に人々が「見る」ようになる・・・というような。

もともと単なる氣の塊だから、性質こそあれ性格とかはないのだけれど、
人々が創造した想念(思念)とくっついて、それを吸収して、
個性というか特徴が出てきたり。

だから、もともとどんな土地にあって、
どんな想念(心)を持った人々に拝まれてきたか・・・で、
その性質、性格は異なってきたりするのです。

醜い心、邪念とか、ネガティブな考えや心根の人たちの利己的な思念、
そういうエゴイズムを吸ってきてしまったものなら、良くないものになるし、
気が荒く、戦闘的で好戦的な人々に拝まれてきたのなら、
とても短気でとっつきにくい、荒々しい龍神になっているでしょうし、
心優しく、正直で、謙虚な人たちに敬われてきたのなら、
とても格の高い、神々しい龍神さまになっているでしょうし・・・

なんですね。

だから、その土地の神さまの性格っていうのは、
土地柄といいますか、住んでいる(た)人々を表しています。
神さまっていうのは、土地のエネルギーでありながら、
人々がこさえていくものだから(みんなの思念が創っていく)。
つまりは、「信仰心」が育んできたものなんです。
その土地に住まう人々の「信仰心」の現れ・・・
共同体としての集合体無意識そのものの反映なので。

とはいうものの、集落が育てていくものもあるけど、
個人としての一族が拝めてきたものもあるので、例外もありますが。
あと、初期設定というか、創られて間もない頃の情報・・・
その神さまというエネルギーが創られた、一番最初の頃のデータ
これが格になるので、この段階でどんなものになるか、
だいたい決まるのですけど(後からは、なかなか書き換えが難しい)。


龍神は、赤龍、青龍、黄龍、緑龍、白龍、黒龍、紫龍、銀龍、金龍など、
色んな色のがいますけど(だいたい九種類)、
これは龍神とされた「氣の塊」の性質。
気質としての「波動」を表しているのですね。
オーラの色わけと一緒です。
色がその龍神の性質を現していると思ってくれていい。


ちなみに私の家系は龍神の霊脈だったりします。
だから短気でおまけに雨女、なのか・・・うむー
(龍神系の人は気が荒いといわれています。トホホ)


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神道というか、古来の日本の神社というのは、
もともと「社」はありませんでした。

土地のエネルギーの強いところ、
大地から強い氣(エナジー)があふれていたり(レイラインのツボ)、
天から強い氣(エナジー)が降り注いでいる場所だったりして、
そこにシンボルとして、「木」を植えたり、石をおいたりして、
そこで儀式や祭礼を行う場所にしていただけなんです。

祈りを捧げたり、感謝をしたり、するだけの場所。

豊穣を祈願し、お天気のことを願い、占いをしたりもありましたが。

んでもって、ここでいうところの神さまってのは、
大地そのもの、天地そのもの、自然そのものなもんだから、
目に見える存在として、具象化されたものではなかった。

だけど、仏教が入ってきたとき、
建物としての寺がちゃんとあって、
崇拝の対象としての「偶像」(仏像)があったりして、
それは人々にとって、とてもわかりやすいものだったんです。
でもって、仏教に対抗するかのように、
建物としての「社」を建てるようになり、親しみを持ってもらうために、
神格化されたキャラクターと結びつけていくようになったんです。
伝承というか、「言われ」があったほうが、
人々が神を捉えやすいというか、身近に感じ、理解しやすいので。

なので、祭られている神さまのキャラクターは、
後から付属されたものが多いので、
もともとのその土地のエネルギーの性質とマッチしてないことも。

だから、言われている、「その神さま」の性格と、
土地の波動、人象化されて「創られた」、神さまとしてのエネルギーが、
「あれ?? なんか違う。言われてる神さまとは別人?? えええ?」
て、いうこともよくあったりしますんですよ。

縁結びの神さまと言われているのに、実際は、
「実用的な力を与えてくれる」、仕事に良いエネルギーだったりとか(笑)


だから、そこに書かれている「云われ」は云われとして、
祭られている神さまの解説はあくまで解説として、
実際のその土地のエネルギーの性質・・・
すなわち神さまの性格や得意分野は、
実際のエネルギーを感じ取ってみて、判断するのが一番ですね。

・・・って、いっても、ふつう分からないか。


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それから、おまけですけど、
神社では「お願いごと」はしてはいけないんですよ。

神社は「感謝」するところだから。
そして、良い「氣」をおすそ分けしてもらうだけのとこだから。

「お願いします! お願いします!」と、
ガンガン利己的な欲を飛ばしてしまうと、
せっかくの良い氣を受け取れないばかりか、
それらをかえって弾いてしまうことになってしまう。

ていうかー 
神社にそのような汚れた「氣」を持ち込む人は多いので、
(とくに参堂とか、隅の方、影になりやすい場に溜まってる)
他力本願の汚れた氣(前回の記事参照のこと)を引き寄せて、
家までテイクアウトすることにもなっちゃうし。

それとお参りするときに携帯など、
電波を発するものはもって行かないこと。
作法はきちんと・・・ですかね。
あと、16時以降はお参りをするべきではありません。
(16時は逢魔が時といいます。それにもちゃんと意味があるんです)
一日に何種類も違う種類の神社をお参りしてはいけない。
せいぜい、二つ(二箇所)ですかねー
※私はけっこーたくさん回ってしまうけど。
 自分で氣の調整ができるので、まあ、大丈夫なんですね。
 メインの主護霊さんが神道系の人だし。


あと、その神社の敷地内で一番、良質なエネルギーって、
本殿にはなかったりします。
本殿にももちろん「神さま」としての人象化された存在はありますが。

もともと天や地からエネルギーが降りたり、あふれていたところから、
本殿というの得てして、外して建てられているものです。

でないと、井戸が枯れるから? さあ、どうでしょうね(笑)

まあ、その境内の敷地内の中で、一番気持ちの良いところ、
居て気分の良いところを探すとよろしいです。

ご神木は・・・良いのもあるけど、
お参りに来る人々の邪気を吸っちゃって、
ヘロヘロになってるのも多いから。
状態をちゃんと見て、触るか、触らないかを決めてください。

でもって、末社や奥宮に行かないというのももったないことです。

本殿にあるエネルギーと
奥宮のエネルギーは質が異なることが多いし。
末社は、他の神社(末社に祭られている神さまの本拠地)とを繋ぐ、
電話回線みたいなとこだから、そこから引っ張ってこれたりもするし。


というわけで、
神さまってのは、自然界の存在、
自然そのもののエネルギーに、人や獣の姿を与えられたもの、
と理解しても差し支えないかと。
実際は人でもないし、獣でもないわけですが。

で、神社ってのは、自然のエネルギーの宝庫であった場所なんですが、
都会は・・・残念ながら、ですね。

そういう意味で、神社や神さまを語るときには、
「自然」のこと、自然界に存在するエネルギーのこと、
私たちが住むこの地球という大地のことを語ることでもあるのです。

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