2015/11/05

地球の嘆き、神の怒り

東北の地震から、はや四ヶ月。

被災地から離れた都心では、
人々の生活はほぼ元通りに、節電意識も薄れ・・・

地震大国に住んでいるのだから、
避けられない問題ではあるものの、
今回のことは、あまりにも悲しすぎる出来事で。


さて、もう数年も前から、
愛と感謝の気持ちなどの良い氣が減って、
利己的な欲望や怒りなどの、良くない氣が増えて、
氣のバランスがものすごく悪くなっていて、
このままでは・・・という懸念を、
多くのサイキックやスピリチュアルな仕事に従事している人々が
口にしていたりした。

地震が天罰であるかどうかなんて、私ごときが言えることではない。
まして、亡くなられた方や被災者の人の気持ちを考えたならば、
そんなことは無神経なだけで、気安く言うようなことではない。

罪があるとすれば、日本人全員で、すべての人類の罪でもあるのだから。


ただ、言えることは、今回の地震で人々が不安に陥り、
その恐怖や哀しみが、また良くない「氣」を生んでしまった、ということ。

そして、大地が動き、海が荒れたことで、
土地に埋まっていたあらゆるもの、海に沈んでいたもの、
それらが動いたり、封印が解けたり、
活動が活発化してしまったものが、あるということ。

済んでしまったこと、そうなってしまったことは仕方がないとして、
私には地震のあとの、「それら」がとても気鬱になる事実。


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私はダイエットと運動不足をかねて、
自宅から遠出して、ウォーキングをするのだけれど、
時おり、「神さま」に呼ばれて、引っ張られることがある。
今はもう廃れてしまって、誰も拝む人がいないような、小さな神社に。
「いらっしゃい、いらっしゃい、ぜひ寄ってきんさい」
というような感じ。

でも、中には利用しようというような輩(動物霊とかその他悪なったの)

もいるから、注意しないといけないのですけどね。

八百万の神は創造主たる神とは別モノ。

神が神でい続けるためには、
人の想い、祈り、何よりも信仰心が必要で。
それが無くなってしまったがために、
神が神でいられず、人に仇なす悪しきものになってしまったものも多い。

(そうさせないためにも、神と名づけられたその存在たちに、
感謝の気持ち、および善なる「氣」を祈りとして捧げ、
祭りたてることは神社(神域)を聖域として保つことに通じるので、
「お掃除」と称した浄化のヒーリングにしても、お参りにしても、
土地を守り、国や地域単位の平和を願うならばとて大切なこと。

そもそも、神社とは願いを叶えてもらう場所ではないのだから。)


さて、本題。

先日、忘れ去られた神になってしまった海神さまにお会いした。
(何ていうか、どうしても電波な話になってしまうのだれど)

その日は午後から、
某レジャーランドに、仲間と遊びに行ったのだけれど、
しょっぱなから、人身事故で電車が止まったりして、
いや~な予感がちょっとだけあったり。

入園前にトイレを済ませておく、という数人を入り口で待っていると、
普段は肉眼で視えたりなんかしないのに、
後ろにずいぶんと大人数を団子状態で連れている女の子を発見!

「うわぁ~! ずいぶんとくっ付けちゃって、重くないのかな・・・」

私のその言葉に、いたってフツーの友人は、

「ああ? ホントだよね。
いま携帯のアクセ、じゃらじゃらくっつけてる人多いよ。
肩凝らないのかなー」

「・・・」

見てるものが違うというか、まったく話噛みあってませんっっっっ汗

(ちなみに、どういう風に視えるかというと、
立体かつモノトーンのホログラフィみたいな感じ)

たまたま大量にくっ付けてるから視えただけかと思いきや、
中に入ってからも、他の人たちに・・・
ほとんどの人たちに後ろにくっ付けてるものが視える。
もちろん、ガイドさんとかではないです。

中には生霊もいたけれど。

十人に一人くらいの割合ならわかるけれど、
あまりにも多くの人がくっつけていたりなんかして、
それにしても、確立が高すぎる。

一体、どうしたことか?と、とにかくビックリ。

なんていうか、
そこは確かに霊がいないってとこではなく、
いるにはいる場所ではあったけれど、
みんな楽しそうにしていたし、
少なくとも、タチの悪いものはほとんどいなかった。

なのに、なんか良くない。
タチの悪いのが増えてる。
おまけに土地が汚れているというか、
足元からネットリと、ヘドロのようなものがあがってくる感じ。

なるべくアンテナ立てずに、気にしないように、
視ない様に、スルーはしていたのですけれども。


これの出所はどこだろう?

足元からも来ているけれど、大本はどうも海からのよう。

するってーと、祭られなくなった神さまの存在。
怒り、嘆き悲しんでいる海神さま。
人間に対する憤怒の念と哀しみ、
とくに穢れ、汚されたことに対する憤り。

とっても、古い時代の海神さま。

埋め立てが行われる前の、
昔の海岸線の時代に祭られていた神さまなのだろう。
今はもう、還るべき社もないのだという。

ただ、私に出来ることは、その海神さまのために祈ること。
私たちを、人を、どうか赦して欲しいと、お詫びすること。
そして、海神さまが入っていただく、社を探すこと、くらい。


原因はそれだけではなくて、
地震による自粛で、「花火」が行われなくなったことも、
状況を悪化させてしまったみたい。


「花火」は単なる、人の目を楽しませるための娯楽ではなく、
魂を慰め、天に昇るための大事な「浄化の炎」だったんですね。
彼らが星となって、夜空に導かれるための。
花火を打ち上げることは、鎮魂のためのセレモニー

天高く、火柱がスッーと昇っていくさまは、
魂を上へ上へと導く、灯火の役割もあって、
それは鎮魂と慰霊の役割があると。

たかが花火、されど花火に、そんな力があったなんて、ね。



あと、日本各地で祭礼が中止となってしまったことも、
あんまし良くなかった。
祭礼はお祝いの意味ばかりではなくて、
「氣」のバランスを整える意味で、
とても重要な役割を果たしているから。

お祭りによって、集められる、
人々のポジティブなパワー、強い氣は、
今の日本にはとても必要なものだし。

神事は、こんなときだからこそ、とても大切で、
行われるべきものであったと思う。

供養も肝心でとても大切だれど、
土地を鎮め、海を鎮めるための神事もきちんと行うべきなんですよ。


でもって・・・・
いつもなら、地震の前だったなら、
その施設のある土地に、良い氣が満ちていて、
人々が連れてきた良くない氣も、花火によって浄化されていたので、
海神さまの怒りというか、力も抑制されていたのだけれど、

地震で大地が割れて、海も荒れて、
人々が恐怖や不安の気持ちだとか、負の気持ちをたくさん排出して、
浄化のための花火も無くなって、一気に悪いほうに出ちゃって、
神さまの障り、が表面化してしまったみたい。

まあ、これに関しては、その付近の住人と、
そこを訪れる中での、感じやすい人に、
出てしまっているだけのようですが。

具合が悪くなった人に関しては、暑さのせいってことで、
テイクアウトしたものも、そのうち離れていく人は離れてくだろうし。


しかし、そうやって、怒っている神様・・・
封印が解けちゃったものや、
噴出してしまった、アレやコレやは、全国にあるのだろう。

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