2015/11/05

ベールの向こう(上)

本題に入る前に、まずは前回の記事の補足から。

人が普段くっ付けている邪氣やケガレですが、
神社とか、聖域などに行くと、その場の陽氣に弾かれて、
中に入れなかったりするものがあります。

そういうものは、どこに行くのか。

時々、神社や聖域に存在する「陽氣」で浄化されちゃうのもありますが、
たいていが、
敷地外とか入り口付近や参堂の両端にたまることになります。
とくに参堂の両端の日の差さない暗い木陰とか。

樹木が吸っちゃうことも少なくないのですがね。

まるで真っ黒クロ助みたいに、それらはわさわさと蠢いていたりして。
(んでもって、これらは太陽光が弱まるごとに元気になるのです。
神社や神域に夕方以降行かないほうがいいっていうのはそういうこと)


そういうのって、人の欲望・・・悪しき邪念のゴミだったりするので、
神社に邪かつ利己的な欲望をお願いに行くと、

同じお仲間同士、吸引しあいますから、

結果的に「お持ち帰り」してしまうことになってしまいます。

本来は、聖域として古来から護られてきた場所というのは、
大地のパワーや天から降り注ぐ陽の氣が強くて、
自浄作用があるんですけれど・・・
あまりにも人間が、汚れモンを持ち込むものですから、
汚れがてんこもりになって、土地が痩せていくというか、
なかなかどうして・・・・

まあ、神さまも大変です。
お掃除をする宮司さんとかも、もち(現実のゴミだけじゃないし)。
お賽銭程度じゃ、あのゴミの始末はワリにあわないと思うな~っっ


だから、神社には利己的なお願いをしにいくのではなくて、
「いつもありがとうございます」と、感謝の気持ちを捧げにいったり、
純粋な気持ちで、陽の氣をもらいにいくのがよろしいかと。


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で、今日書こうと思った本題。

かなり昔ですけど、
その手の怖い漫画(恐怖体験つまりは心霊モノ)を読むと、
単純にその状況を想像して怖くなるばかりでなく、
明らかにその場所と「繋がってしまう」という人がいました。

本人はそれがそれと自覚していたわけではないですけど、
「何か」 戦慄を覚えるような出来事が起こったり、
妙な現象に悩まされることがあるとのこと。

その人の場合、たまたま「繋がって」しまっていたわけですけど、
いつも必ずしもそういうことが起きるわけではなく、
人がそんな状況に陥って、
恐ろしい体験を自らに呼び込んでしまう原因のひとつに、
本やコミック、テレビから受けた印象、視覚的イメージを
頭の中で「想念体」にしっかり創り上げ、
カタチあるものとして誕生させてしまうことが多々あります。
この場合、私達が存在している物質社会としての三次元ではなくて、
想念の世界である四次元に作ってしまう・・・わけですが。

そういう自分が作ってしまった、
コワイ「幻」に悩まされることは、まあ、わりと多いのですね。

この想念もエレメンタルの一種で、
性質の良くないものは、ネガティブなものとなりますから、
「ケガレ」として祓われる対象物にもなりますね。

で、その本やテレビで見た場所と繋がってしまう、
稀有なケースのことですが、

私たちが肉体を所有して、自分を自分として、他人を他人として、
知覚できるこの次元では、
ある地点からある地点に移動するには、
身体を動かして歩いたり(行動するということ)、
電車や車などの乗り物に乗らないとたどり着くことは出来ないし、
手段と移動時間がかかります。
※空間を移動するための物理的手間と所要時間
遠くの場所にいる誰かと連絡を取るにしても、
電話とか携帯とか、メールとか、無線とかの
物理的手段は欠かせません。

ですが、
想念の世界たる四次元では、物理的な肉体は用いませんから、
かかる所要時間と物理空間での移動は不要なんですね。


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その前に事前知識が必要かな。

どこから説明すればいいのかなーと思いつつ。
(スクールで皆さんに説明していることではありますがっっ)

私たちがときに「幽霊」として捉えてしまう存在とか
物理的ではない存在にしても、生霊にしても、
想念で作られるエレメンタルは、
時間と空間の概念が無い次元に存在しています。

って、その前に
私たちが存在しているこの物理的な次元・・・三次元と呼んでますが、
この世、はここだけじゃないんですね。

とりあえず私たち「人間」がいる(行くことのできる)次元・・・
ここまで魂が、元の「神」である状態とイコールになれば、OK!といった、
もう転生をする必要はないですよ、というゴールに相当する次元は、
大きくわけで7つあって、さらにそこが七つに分かれてたりする。
色々とややこしいので、
うちのスクールではデパートみたいに1階から7階みたいに分けて、
さらにフロアが七層に分かれてるといったように区分けしています。
例)1階の6層目、3階の2層とかとか。
つまりは全部で49、階層があったりする。
(その上にもあるけど、それはさておき。)

※昔からオカルトの世界・・・神秘思想では、
これらの次元の層の違い、区分けを「ベール」とか言ってますね。
クロウリーのタロットにも、このベールは意図的に描かれているし。
アセンションをクチにする人たちは、
よくこの次元の層がやがて消滅するとかも言ってたりする。
それは間違いではないけど、かなり違うかな。
でもって、仏教の曼荼羅も、
この49階層を含めた、さらにその上の階層(次元)のことやら、
そこに『居る存在』のこととか、そういうのを図式化したものだし。


でもって、便宜上、一階から七階まで、
物理的次元での理解というのかな、
フロアが下から上に上がっていくように、どんどん昇っていくように
そんなイメージや比喩になってしまうのだけど、
実のところ、この階層は上に上にと重なっているわけではなくて、
同じ場所・・・に幾層にも重なり合う形で、同時に存在していたりする。

場所の概念でいうなら、ひとつの場所を共有しているようなイメージ。

別の階層でありながら、同じ場所にその世界はあるのです。

まー わけわかりませんよね。
頭の中、こんがらがっちゃうと思います。

(ブログで一方的に文章で説明するのは難しいです。)


だからねぇ。
別の世界の人がたまに、視えちゃったりするの。

それだけ。

ていうか、49に分かれている中で、
自分がいる次元に近い場所のもの、
自分がその次元に作ってきた想念がたくさん山盛りになっている世界、
そういうものと引き合うんですよ。

出会う確立が高いというのかな。

はい。


とりあえず、続きはまた後日にします。

中途半端なとこで、話終わらせてしまいますが・・・


ここのとこ、頑張って書いてます、エライぞ、ぢぶん。


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