2015/11/05

いまを生き、自分の人生を生きる

  ”死にたいと思ってても 
   肉体は排泄行為を促すし
   しっかりお腹もすいて
   何か食べろって脳に命令してるわ

   ・・・ばかみたい”

                by津雲むつみ「闇の果てから」



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デパートの地下食品売り場には、
消費し尽せない贅沢な食べ物があふれ、
人の目と欲を喜ばせているけれど、
売れ残り、店員間でも捌けなかった
賞味期限切れのほとんどが廃棄処分。

ファーストフードでは30分単位で作り置きが廃棄させられる。

たくさんのレストラン、露店、ショップや居酒屋など、
スーパーにもコンビニにも食べ物はあふれている。

私たちはいつだって、お金さえあれば、
好きなときに好きな食べ物を食べることができる。

この僅か食料自給率40%の国で。

水でさえ、タダと思っている人がたくさん存在しているが、
私たちが食べている食べ物を生産するのに必要な水さえ、
国内ではまかなえることができないというのを
いったい何人の人が知っているのだろう?


私たちがお腹一杯食べて、
食べられないと皿の上に苦手だったり、余剰の食べ物を残し、
たくさんの食べられなかった「命」をゴミとしている瞬間に、
世界では、その「ゴミ」となった量の食べ物ですら、
胃袋に落とし込むことができずに、飢餓で死にゆくものがいる。

私たちが笑い、泣き、楽しみを甘受している間にも、
嘆き悲しんでいる間にも、退屈や虚無に囚われている間にも、
この同じ瞬間に、
産み落とされるものの殺されたり、捨てられたり、
他人によって権利を奪われたり、助からなかったり、
誰にも見取られずに、死に行く命がある。

絶望の中で彷徨う魂がある。

私たちが笑いながら歓談し、
贅を尽くした美味しいものをほおばる瞬間に、
朝家を出て、再び家に帰り着くまでの間に、

何人の人が命を落としているだろうか?

翌日の朝を見られない命があって、
自由のない国があって、暖かな毛布のない夜を過ごすものがいる。



でもだからといって、罪悪感におのれの人生を浸す必要もない。
それを知ったからといって、人生を楽しむことを禁じる必要はない。

生かされているものは、生を生きるのみ。
自分が自分であることを全うするのみ。

自分として、自分の命を表現して生きるのみ。

おのが与えられたポジションに恥じることなく、
それを受け入れ、精一杯自らに与えられた人生を楽しんで、
味わいつくして、自分の人生を完成させるのみ。


そして、生かされているということに気づけたなら、
私利ではなく、小我ではなく大我のために、
自らがどうあるべきかを考えて行動するのみ。


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  ”でも、なんだか可哀想だね
   このヒヒって
   人間のために殺されちゃうってことでしょ?


   それじゃあ
   ソーセージになったブタや
   クリスマスのチキンの立場はどーなんだ?


   クリス・・・
   だからあなたは最後の一片まで
   ムダにせずお食べなさい

   その肉が・・・
   その生命が見るはずだった
   明日の朝の空を
   代わりにあなたが見るために・・・・・・”

             by秋乃茉莉「ペットショップオブホラーズ」より



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そう・・・

私たちがこうしている間にも、世界では悲しい事件が後を絶たない。

戦争や紛争は、人類誕生の有史以前から、
ほんの少しの進歩もないままに何度も繰り返され、
人の殺戮の方法と規模が変わっただけで、
そこには知性や良心のかけらもない。

歴史は繰り返されるが、
相変わらず人は歴史から何も学ばないまま。

人は人を憎み、
たった一人の罪人を代表として、
その背景にある国や集団を悪としたがる。
自分と誰かを区別したがり、
女性とか男性とかでジェンダーを分け、
普通とそうではないものとに分けて、
マイノリティを作り出しては差別し、
排除することで憎しみの矛先を見つけ出し、
それによって見せ掛けの安心を得ようとする。

宗教には救いはなく、
命の尊さや人の尊厳を問う、
宗教そのものが組織となり人殺しを作り出す。

生まれる命もあれば、死に行く命もあり、
助けられるのに助けられない命もあるし、
死が救いの命を我欲から引き止め、無理に押し留めるものもいる。
生に執着するあまりに、変化と自然の摂理を受け入れず、
それに逆らい、他者の居場所を奪うものもいる。



ニュースなどメディアはいつも様々な情報を伝えている。
日本にいながらにして、
私たちはリアルに世界中で起こっている出来事を知ることが出来る。

ひとつの事件や出来事の裏に、
どんなドラマや隠された事実があるのかまでは知らなくとも。
どれだけの人の涙や人生がそこにあるのかを判らなくても。

そして、ニュースは常に新しいものに摩り替わっていく。
今日伝えられたニュースは、たちまちに忘れられていく。
次々に起こる新しい出来事の前に、
古い出来事はどんどん埋もれて、人の記憶から遠ざかっていく。

でも、私達が忘れ去ってしまおうと、それは・・・
ニュースの中に語られた人々の人生は確かに、存在したものだ。

また、メディアで大きく取り上げられる出来事ばかりが、
世の中に存在している出来事ばかりではない。

ニュースとして語られない、取り上げられないような出来事の中にも、
様々な、星の数ほどの人の人生と、ドラマがある。

ニュースで伝えられることだけが特別で、
伝えられない小さな出来事はそうではないということはない。

ニュースに出てくる「死」や「生」だけが特別で、
そこに取り上げられない「死」や「生」に意味がないということはない。

誰もが知る大きな事件・・・ニュースで取り上げられる事故や、
災害で死んだ人ばかりが特別なのではない。

大きな数字の中のひとつとして数えられた命も、
私たちの知らない命も、死も、すべて同じ命で、死だ。



20年ほど前、友人三人とエジプト旅行に行った。
初めての海外旅行とあって、浮かれていたところ、
以前勤務していた会社の先輩から電話があった。
彼女の彼が、私に話があるという。

彼・・・Tさんは私たちより二周り上の世代の人で、
ゼネコン関係の仕事をしている人だった。
そして、イ・イ戦争のとき、現地で軟禁状態に置かれ、
日本に何年も帰国できなかったという稀有な経験をしている。

私がイスラムの国、エジプトに旅行へ行くという話を聞き、

「絶対に、行ってはいけない! 
 危ない! 命を捨てに行くのか!」

・・・・と、Tさんは旅行を中止にするよう、私を説得した。

あわせて、
イスラムの連中というのは・・・という薀蓄をうんたらかんたら。

にも関わらず、
私は「自己責任ですから」と行ってしまったのだけれど。
(実際とても楽しい旅でした)


先に起きたアルジェリアの事件を振り返るとき、
Tさんの経験した恐怖の数年間と、
あの時、彼がどうして私を止めたのか、少しだけわかった気がした。



・・・都会に住んでいると、
人の集まる街、首都圏に住んでいると・・・
地方よりは必然と、多くの人と出会うことになる。

一生の間、すれ違ってきた人々、
出会ってきた人間関係の延長線上には、
ニュースで報道された事件の被害者なども含まれていたりする。

直接な面識、繋がりはなくても・・・。

助けられなかった命、救うことができなかった心。

関わっていたとしても、何ができたろう?

いずれにしても、無力な傍観者でいることしか出来なかったが。

そんな人たちの人生に想いを馳せるとき、
自分に与えられた人生を、悔いなきように生きたいと、
ただ欲する。



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  ”あんたイギリスでは何をしておいでなのかな


   ぼくはカメラマンです
   世界各地で未だに続いている
   戦争、貧困、差別などの問題をフィルムに収めて
   それらを人々に伝える仕事をしています

   
   ほう、何のために?


   なんのために?
   もちろん このままではいけないことを
   人々に訴えるためです
   今、この瞬間にも世界各地で
   多くの子供の命が戦争や飢えのために失われている

   我が子がそうであればどうします!?
   我々はそれを他人事のように傍観していてはいけない
   ましてや人が人を差別して迫害するなど・・・・・・


   だがな・・・・・・エド
   差別と同じよう自由もまた人間が創り出すものじゃ
   苦しむ自由 楽しむ自由
   人間にそれを受け入れる自由も拒否する自由もある


   ? おっしゃる意味がよくわかりませんが
   

   あんたにもそれ
   飲めんスープを拒否する自由があるということじゃ

   そして、わしらには
   あんたのその選択を受け入れる自由がある

   この世を救いたいと思うなら
   その難しさをなげく必要も、泣く必要もない
   自分の創り出した現実を楽しむ自由に気づくことじゃ

 
   し、しかし
   彼らは差別を受けたくて受けているのではないし、
   子供たちもまた飢えたくて、飢えているのではないのですよ

   それを・・・・・・
   その境遇を選択したのは彼らだと・・・・・・?
   それを楽しむのも苦しむのも
   彼らの自由だとおっしゃるのですか!?


   そのとおりじゃ
   自分の力を知る者こそ この世を救う者じゃよ


   ばかな! 詭弁だ! 
   戦争のために、飢餓に苦しんでいるのは彼らのせいではない!
   そんなこと言ってたら
   いつまでたっても貧困や差別はこの世からなくならない


   差別は・・・・あっても当たり前なのよ

   あなた・・・・・・
   今まで一度でも、自分は何かが人より劣っているとか
   人の何かがうらやましかったりとか、感じたことはある?

   
   ・・・・・・そりゃ


   ・・・なら、あなたもまた
   自分を他人から差別する観念を持っているのよ

   しかし・・・・・・それは


   でも、それは・・・? かまわないの?
   自分を見下して差別するのはよくて
   他人を差別するのは罪なの?

   じゃあ・・・・・・
   間違っている差別だけが、この世からなくなると思う?

   なぜ、人は
   外で起こっている象徴的な出来事にだけ集中するのかしら
   自分の家の中のもめごとはそっちのけで

   世界平和を訴える大国の大統領は、  
   家に帰って奥さんとケンカしているじゃない

   そうでしょう?

   愛する家族や友人の中にさえ
   争いは差別は毎日当たり前のように起こっているのに
   この世から戦争や差別がなくならないことを
   なぜ、遺憾に思うのかしら

   私たちに何ができるの?
   自分が人とは違うことを楽しんでいる人さえいるのに

   世界中で大勢の子供たちが飢えて死んでいくのは
   あなたが自分の内の問題を解決しないからよ"


           by有吉京子「救世主入門」より

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