私は神社マイラーである。
(とはいうものの、行けてないトコのほうが多い)
お寺も好きではあるけれど、
観光などでお寺に詣でた後で神社に行くと、
肩の力が抜けるというか、人心地ついて、
「あ゛ー やっぱり神社はいいわあ~」
と、スライムになったりする。
それはまるで外出先から自宅に戻ったときのほっとした安堵感であり、
海外旅行から日本に帰ってきたとき、富士山を見たときのあの気持ち。
ホームグラウンドに帰って、落ち着ける気持ちなんですよ。
もちろん中には落ち着けない神社もありますが。
「きゃ~!」
となってしまう、立ち寄りたくないケガレた神社も世には多いし。
お寺は"修行"の場というか、
襟を正して、正座して、自分と向き合わなければいけない・・・
という張り詰めた空気を感じてしまって、
それはそれで心地良い緊張感でもあるのだけど、
やっぱ神社の包容力のある、ふくよかなエネルギーが好きなんだな。
キリストさんとこの教会もそれはそれで好きだけど、
やっぱ神社でしょ。
お寺は自分と向き合う場で、
神社は、ふにゃふにゃと母の懐に甘えに行く場所って感じ。
むふっ~!と、あったかい気持ちになりますもんね。
「おかえり」って優しく迎えられて、頭をなでなでされる感じで。
別に神さんと話せるわけじゃない。
存在を感じたりとか、そういうのでもない。
ただ単に、好きなだけ。
いつから神社が好きなんだろうな?って思う。
七五三のときに、
産土である妙見さんに詣でた事は覚えてるけど、
記憶の彼方すぎて。どう感じたかもなく。
さて、
小2の頃、祖母が危篤状態に陥ったことから
母の郷里に帰省して、
そのまま三ヶ月ほど、国分市で過ごしたことがある。
(夏休みが過ぎてしまったので、そのままでは勉強が、
ということで、小学校の職員だった伯母のはからいで、
イトコたちと同じ小学校に一時的に通うことになった。
が、教科書が違うからあんま意味がなかったように思う)
祖母はクモ膜下出血で、
たぶん病院への搬送が早ければ・・・だったのだけれども、
いかんせん、整った医療施設、総合病院は
車で何時間というとこにしかない田舎のこと。
それでも命はあって、
半植物人間のような意識不明の昏睡状態は長く。
んでもって、ダラダラといたんですが。
子供ながらに、何が出来るだろう・・・って考えたとき、
何を思ったんだか、
「神さまにおばあちゃんの回復をお願いしよう!」
だったんですね。
何故そう思ったのか、自分でも覚えてないのだけど。
それに今の私だったら、
絶対に神さまにお願いなんかしないわね。
当時の自分の思考回路は理解不能デス。
ンでもって、祖父母の家の近くの神社(無人)に、
毎朝早起きして、せっせと通うことに<三ヶ月間も
しかも、私ったら、お祈りをするのではなく、
笑えることに、してたのはお掃除なんですよね。
もち、お掃除が終わった後にはお祈りもしてたけど。
庭を箒で掃き、お社を拭き掃除して、
あろうことか、罰当たりなことに、祠まで開けちゃって拭き掃除。
毎日ですよ。
今の私だったら、そんなこと絶対に続けられないっっっ苦笑
初めのうちは・・・夏休みのうちは、
姉とかイトコたちも面白がって、
一緒に付き合っていたけれど、そのうち飽きちゃったみたい。
私の祈りが通じたのか、祖母の生命力が強かったのか、
とりあえず、祖母の意識は戻りまして。
ただ、左半身には麻痺が残り、
そのまま寝たきりにはなってしまったけれど。
たぶん、その頃からなんでしょう。
神社とのご縁。
つかー 神社が居心地の良い場所になったのは。
その神社の名前も、由来も、祭られてた神さまも不明っっっ
調べれば判るんでしょうが。
※当時の母実家の住所を頼りに調べてみた。
宮毘神社というそうな。けど、無人なだけに既に史跡扱い。
祭神も由来もわかりませぬっっっ
しかし、祠開けるなんて、ホント罰当たりだわー
てかー ありえませんっっっ
子供のすることだからタブーを犯したこと、
見逃してくれたのかな<神さん
ちなみにこの神社の隣は近所では有名な幽霊屋敷があって、
その神社の前も、母親がとっても恐ろしい目にあったことのある場所で、
(夕方、牛を連れて歩いていると、猛烈な恐怖?が襲ってきて、
足がすくんでしまって、「ヤバイ、早くここから去らねば」と
牛を急かすのだけど、牛とか馬ってこういう気配にやたらと敏感で、
ビビってしまい動かなくなるんですって。
押しても叩いても震えて縮こまっちゃうらしい。
母曰く、それが何かわからないけど、もらしそうになるほど、
恐ろしい気配・・だったのだそう。)
でも、私ってば鈍感なのか、そーいうの全然平気だったり。
怖いもの知らずなんですよね。
いやさテレビの怖い話とか映画にはビビリで、
トイレいけなくなりますけど。
そんな怖い神社と言われても、ヘーキだった私って一体っっっ汗
このときの帰省にはエピソードがいろいろとあって、
ある意味でとっても、不思議な夏であり、印象深い年でありました。
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