2015/11/04

うさんくさい職業

さて、
派遣仲間とか、コチラの仕事とは接点のなく知り合った人たち・・・
ふだん・・・の、素のままのワタシとして関わる人々に、
本業?のことを説明するとき、

一言で説明することがどうにも出来ないので、

「うさんくさい仕事」

と、しか言いようがなく・・・

時に話の流れで、

「家で私塾を開いてて、生徒さんたちに教える仕事をしているんですよ」

とも言うのだけど、すると次には必ず、

「まあ、何を教えてらっしゃるの?」

となってしまうので、

やはりここでも、

「・・・ええっと、その、あまり一般的なことではないので(ごにょごにょ)」

と口ごもってしまうか、もしくは言い慣れたセリフたる

「うさんくさいことを教えてます」

と言ってしまう。


すると、中にはその答えで好奇心を刺激されて、
あれやこれや是が非でも聞き出そうと、
様々な角度から質問をぶつけてくる人もいるし、
何やら聞いてはいけないことを聞いてしまったのか?と、
怪訝な臭いを感じて、そこで止めてしまう人もいるのだけど、
後者は少数派。


まあ、ホントに胡散臭いもんね。
怪しい仕事と言えば、そうだし。


と言ってしまう。


すると、中にはその答えで好奇心を刺激されて、
あれやこれや是が非でも聞き出そうと、
様々な角度から質問をぶつけてくる人もいるし、
何やら聞いてはいけないことを聞いてしまったのか?と、
怪訝な臭いを感じて、そこで止めてしまう人もいるのだけど、
後者は少数派。


まあ、ホントに胡散臭いもんね。
怪しい仕事と言えば、そうだし。


あと、どんな仕事なの?と聞かれたとき、

「そうねぇ・・・
 (氣を)入れたり取ったり、
 (術を)解いたり(過去を)読んだり書き換えたり、
 上から目線で人にあーだこーだエラソーに説教や能書きたれたり・・・
 
 ・・・まあ、そのぉ・・・一口に言って、

 詐欺師みたいなモンですよ(えっへん!)」


なんて、自虐的に言ってみたりもする。

こういうと、相手は頭の上「???」状態で
目が点になるしかないわけだけど。

あとはそう。

「当ててみて」

と謎解きにしてにっこりと
チェシャキャットスマイルで逃げ切ったり。

まあ、だいたい

「非科学的な分野を扱う仕事で、
 何かと誤解が多い分野だから
 一口に説明することが難しいんですよ。
 あ、でも宗教とはまったく関係ないです」

と、言ってしまうけど。

とにもかくにも
世間的に体裁が悪いというか、なんと言うか、
理解されがたいし、ホント説明が難しい。

親や親戚にも簡単に言える仕事ではないし、
誤解されるのもイヤなので、誤魔化すしかない。

稀有な職業の人と知り合いになれて嬉しいとか、
オカルトや占い好きなミーハーさんからは、
好奇心からお近づきになりたい!みたいな・・・
そういうのも多少はあったけれども。

飲食店を経営していた知人のサイトを紹介したならば、
リンクを貼られてから、ヘンなお客さんが増えたと、
遠まわしに、私のような職業の人間と、
知り合いと周囲に知れるのは困ると、
そのような怪訝のされかたをしたこともあったりする。
そういう意味では、迷惑をかけたくないので、
以降知人のサイトなど、いっさい紹介もしないことにした。



恥じているかといえば、もしかしたらそうなのかも知れないが、
水商売といえばそれに近く、
決して通りの良い職業ではないので。
(うちは大した家柄ではないけれど、それにしても憚られる)
霊的な体験が多い一族ではあるし、
そういうことを受け入れられなくはない人たちであっても、
それとこれとは話が別だったりする。
※身内ってめんどくさいから。
 それにうち、従姉にしても教育関連の経営者で、
 姪二人や甥夫婦が教師だったりするし・・・。


ワタシの場合、占い師でもないし、霊能者でも祈祷師でもないし、
純粋なヒーラーともちょっと違う気がするし。
スピリチュアルカウンセラーとか、そういうのでもない。
いやさ、上記の職業にしても、世間的な通りがいいわけではなく、
なんていうか、色目で見られることに抵抗がある。

でも、イヤだイヤだといいつつ、しっかり電波な仕事だし、
このブログに書いてあることだって、非科学的でやっぱり電波ちゃんだし。
どうしても、ふだんの会話も電波な話題になっちゃうし・・・ううーん(葛藤)
自分の書いたことながら(体験していることも含めて)、
冷静に読み返すと、


「うーん・・・現実離れ、し過ぎているっっっっムムムム」


と、つくづくタメ息。
ホント、たまに自分でも、
「私は気が狂ってるのでは?」って思うときは多々あるし、

「過去生だの何だの、なんだか馬鹿らしいな・・・」

とか、

「霊だのエネルギーだの、んなもんがあろうがなかろうが知ったことか」

・・・と、

マジメに醒めた視点でそう思っちゃうことがある。

これはきっと白昼夢に過ぎず、
私は幻を見ているに違いないと。

自分は想像力が逞しい夢見がちの阿呆で、
きっと現実と幻覚の区別がつかない人間なのだと・・・


自分が感じていたり、キャッチしていることはただの幻覚と妄想で、
単なる行き過ぎた想像力の産物でしかなく、
頭の中で創り上げたファンタジーの世界、
ストーりー性をつけて、屁理屈をつけているに違いないとか。

たぶん、そうした精神分析のほうが正解なのだろう。

そして自分の妄想から来る思い込みやこじつけに、
周囲を巻き込んで、振り回しているだけなのではないか?

だとしたら、それはなんと罪深いことだろう。



∞∵∞∵∞∵∞∵∞∵∞∵∞∵∞∵∞∵∞∵∞∵∞∵∞∵∞∵∞∵∞



さて、私は頭が悪いので、勉強が出来た験しがありません。
小学生のときだけは点取り虫だったけれども、
以降は赤点の女王でノータリン街道まっしぐら。

学歴もないことながら、学生時代も理数系はもっとも苦手とするトコロ。
でも、読書だけは好きだったんですね。
(かといって文才はないし、国語が出来るわけもなく)
その読書も偏った本ばかり、読んでいましたが。

(数学や理科が苦手だったクセに、
多少の天文学の知識や数学的計算を必要とする、
占星学の複雑な計算がなんとか習得できたのはまさに奇跡。
今はありがたいことに、
難しい計算をあっという間に片付けてくれるソフトがあるけど、
昔は時間かけての手計算でしたから。時差の計算とかねー)

でも、もともと科学的な謎解きが嫌いだったのではなく、
むしろ子供の頃はそういうのにもっとも興味があって、

どうして「虹」は丸いのか、どうして「雨」は降るのか、
なんで遠くにある、そこにあるはずの高い山は見えないのか、
とか・・・虫や空を一日中見ているのも飽きなかったし、
一晩中星空を見ているのも好きだった。

知りたいこと、不思議なことで世界は満ち溢れていて。

でも、学校での理科や数学はホントにつまらなかった。

数学は、答えを出すのは私には簡単だったけど、
方程式を使わなければいけなくて、
答えが正解でも、それは意味のないことであり。
方程式なんかなくても、答えを割り出せるのに、
方程式のほうを重視するやり方が私には苦痛だったかな。
答えを出すことより、方程式を証明するための計算が
納得いかなったんだな、たぶん。


さて、子供の頃夢中になった本と言えば、

ポプラ社の「アルセーヌ・ルパン全集」
横溝正史「金田一シリーズ」

なんだけど、
私を洗脳した本と言えば、
コリン・ウィルソンの一連の著作と
マルキ・ド・サド「悪徳の栄え」

そして、カール・セーガン博士の「COSMOS」になるかしら。
「コスモス」のテレビシリーズを見たとき、
私が知りたかったことがたくさん詰まってて、
もうホントに判りやすくて、目から鱗で、

「これだ!」って思った。

本も面白かったけれど、映像化されたものはさらに素晴らしく、
心の底から興奮して夢中になったものだった。

彼みたいな先生ばかりだったら、
子供はもっと科学が好きになるのだろうな、と思う。
何しろ、見た目もステレオタイプの科学者と違って、
なかなかのハンサムだし(笑)


で、最近ようやっと彼の遺作となった、著書を読んだ。

まー 科学者さんだから、当然だろうなーという視点の内容。
サイキカルな、スピなことに対する批判てんこもり。
けど、博士の言い分はもっともで、
他の超能力やオカルト・スピ批判の人たちの、
ヒステリックで排他的なアンチ本とはさすがに質が異なっている。

残念ながら、私はセーガン博士がもっとも嫌う、
受け入れられざる世界の人間なんだよな~と改めて。

なんか惚れた相手に振られた気分(爆)

言葉が通じないし、接点がないから、アレだったけど(もう故人だし)、
出会えても、絶対にお友達にはしてもらえなかったかー 残念。


たぶんねー 
自分が知性のかけらもなくて、
科学的考察と論理的思考に大いに欠けているから、
博士みたいな頭脳明晰な人に魅了されちゃうんですよね。

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