同世代の友人に比べると、
見た目若く見られることから、そのつもりでいたものの・・・
「老い」はけっこー公平だと痛感させられる今日この頃。
いやさ、老眼になるわ、歯はもろくなってるで(とほほ)。
お肉も引力にさからえずたるたるで、
腹部や胸部はいうに及ばず、
顔の法令線もどうにもこうにもなりません。
さて、先日ラクーアに行ってきました。
いつもはあかすりと食事くらいなんですけど、
気分が落ちていたので、贅沢してフェイシャルなんて受けちゃったり。
顔をいじってもらってると、
ふと、昔の記憶が蘇ってきました。
20代前半で同乗による交通事故に遭い、
その後遺症治療を受けている時分に、気分転換も兼ねて、
生まれて初めてフェイシャルを受けたときのことです。
当時は事故の後遺症というよりは、
精神的な問題のほうが大きくて、笑うこともできず、
まるで麻痺したみたいに顔が痙攣したようになってしまってたのですね。
たまたま入ってた広告のチラシを見て、
(確かキャンペーンか何かで安くなってた)
もしかしたら、良いかも知れないな、と思ったりしたのです。
あの事故は私の人生を狂わせました。
直前に退職した職場の同僚が、
「免許取ったし、車も買ったから、ドライブに行こう!」と誘ってくれて、
所沢から飯能方面に出かけたのは夕暮れ時。
結果、彼女の運転ミスで車は自爆。
対向車がないから良かったものの、
反対車線に出て、ガードレールにぶつかった瞬間、
フラッシュバックする記憶の断片を体験して、
「ああ、死ぬんだな」と覚悟したものでした。
しばらく意識を失っていたものの、
気がついたとき、まったきに頭に浮かんだのが、
「家に帰らなきゃ」
でも、歩けない。
歩こうとして、立つことができないというのに、
自分の状態が理解できないんですよね。
人ってパニックに陥ると、状況判断ができなくなるものだと。
つくづく。
事故に関しては・・・
実は運転手の自己判断だったそうで。
彼女曰く、ブレーキが利かなくなり、
車を止めるためにわざとガードレールにぶつけたとのこと。
なので、彼女は「止める」つもりだったので、
ハンドルを握り締め、覚悟してぶつかったので軽症で済み、
それを知らされなかった私はというと、
フロントガラスに頭を突っ込むことになったわけです。
最悪なことに、彼女は「保険」に入っていず、
事故車はたまたま近くにあった自動車修理工場の人に依頼して、
隠蔽されてしまったといういきさつ。
彼女がそうした処理をしている間、
意識朦朧と横たわっていた私は救急車も呼んでもらえず・・・
いま思えば、自己判断力を失っていたわけです。
(警察は呼ばないでくれと泣いて頼んでる彼女の声、
保険入ってなくて届けも出さないなら、
アンタ一生、この友人の治療代面倒みないといけないよ、と
説教してくれている工場の人の声など、やり取りは聞こえたけれど)
どうやって家に帰宅したのか、記憶は途切れ途切れですが、
その後当然ながら寝込んでしまい、自ら病院へ。
で、その同僚ですが、見事にバックレてくれちゃいました(笑)
せめてもの誠意?なのか、5000円だけ郵送で送られてきて。
このときの後遺症には、その後10年以上苦しまされましたし、
治療費もかさんで、借金もたくさん作ることになりました。
彼女のこと、どれほど恨んだでしょう。
このときの事故で私が失ったものはとても大きかったです。
得た教訓もたくさんありましたけれど。
フェイシャルをしてもらいながら、
この時のこともですが、ほかの忘れていた体験も蘇ってきました。
まだ小学校に上がる前、
自宅の裏で野犬の群れに襲われたことがあります。
当時はまだ、鎖に繋がれず、放し飼いになっている犬も多く、
また捨て犬が群れをなし、
徒党を組んでいるという風景も珍しくなかったんです。
身体中を噛まれて、何針か縫うことになりました。
うちで飼っていた犬が、私の叫び声と異変に気づき、
尋常じゃない吼え方をしてくれていたのを覚えています。
とても怖い想いをしたのに、犬嫌いにならなかったのは、
犬と一緒に生活していたおかげでしょうか。
その後、数年して、再び犬に噛まれる経験をしてしまいました。
横断歩道を急いで渡っていたなら、
わき腹に大型犬が食いついてきたのですね。
引き倒されて何度も襲われたけど、
泣き叫ぶ子供の声に、周囲の大人はとても冷たかったです。
それは商店街で起きました。
学校の帰り、そろばん塾に行く途中。
人はたくさんいたし、交差点なので車もたくさん止まってて。
しかも、総合病院の前です。
犬を怖がって、誰も助けてくれませんでした。
這いつくばりながら、自宅に戻る間も、
犬に食いちぎられて、ボロボロになった洋服の子供を笑う人もいたし。
病院では「順番守って」と一時間も待たされるし。
おかげで夏場なのに傷は化膿して、
わき腹の見事なくらいの犬の歯型は、
成人する頃まで鮮やかに残ってました。
その時履いてたスカートは水玉模様だったので、
以来、水玉が恐怖の対象のような気がして、着れなくなりました。
事件があった場所も、足がすくんで大人になってからもダメでした。
でも、何が一番ショックだったかって、
犬じゃないんですよ。
他人の不幸を物見遊山で面白がる「大人」たちです。
当時、小学校二年生だったけど、
半年くらいだったかなあ。。。
言葉が話せなくなりました。
笑えなくなりました。
笑い方を忘れてしまった、というのかな。
人間てイヤだなあ・・・って思って、大人って醜いなあって思って、
誰も信じられなくなりましたね。
ガキのクセに、
「世間て、こんなものだ」
「所詮、人なんて、そうやって自分だけが可愛い生き物なんだ」
「人間は汚い、大人なんか嫌いだ! 絶対信用なんてするもんか!」
と、やさぐれてしまいました(笑)
人はアテにならない生き物だし、
裏切る生き物でもあります。
そんなこと、骨身に染みて、判りすぎてることなのに・・・。
ホント、学習能力がないんだよなあ。。。とも思います。
フェイシャルで、顔の筋肉をほぐしてもらいながら、
私の顔に刻まれた皺たちは、
あの頃の悲しみや苦しみをいっぱい蓄えて、
それによっても刻まれたものなんだと、
だから、刺激されることで記憶も蘇ってきちゃうのかもなあ・・・
なんて、そんなことを考えていたのでした。
こんな日はcoccoの曲をただ聴いていたくなります。
月が遠くで泣いている
暗闇の中 泣いている
あなたへの月
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