2015/11/04

昭和は遠くなりにけり

私より三つ下の友人(正社員時代の同期)が、

ある日、

「昭和の人間関係は熱かったよねぇ・・・」

と、ため息をつきながらぼやいたりして。

聞けば、彼女の平成生まれの娘たちは
対人関係に関する考え方が、醒めているというか何というか、
冷たいほどまでにヒジョーにクールなんだそうで、

そうした友情の考え方の差にゼネレーションギャップを感じたのだとか。


とはいうものの、いつの時代も世代間の違いってのはあるし、

かつて「イマドキの若者は」と言われた世代が、
一巡して、下の世代に同じセリフをつぶやくようにもなるもので。


しかし、彼女はとくに情に厚い女だから、とくにそう思うのかもな。

確かに昭和は熱かった。

この場合、昭和生まれというよりは、
昭和に子供・学生時代の多感な時期を生きたもの、というべきか。

私たちの子供の頃、「すでに戦後ではない」と言われて久しく、
高度成長期を迎えて日本は豊かになりつつあったものの、
まだまだ戦後であって戦争の影を引きずっていたりした。
テレビや漫画では戦中戦後の女の一代記だとか、
戦争はよくない、戦争をしてすみませんでした雰囲気てんこもりで。

(それでも空襲や飢餓を経験したうちの親に言わせると、
食べ物もモノも豊富で自由に買えて、何より爆弾振ってこないし、
絶望感もなく、戦時中や直後の混乱とはお話にならない・・・と。
岸壁の母たちはまだたくさんいて、中国残留孤児も帰国して、
戦争の影、匂い、敗戦国なんだっていう空気感はあったよねぇ)

沖縄は日本ではなくて、中国との国交はまだ回復してなくて、
小学校とか地域では、とてもイヤなことに
まだまだ韓国や朝鮮の人たちがめちゃくちゃ差別されていて・・・
(だから彼らは出自を隠して日本名を名乗らないと、だったんだよ)

成田山にお参りに行くと傷病兵の人たちが物乞いをしていて、
学生運動などがピークで、ベトナム反戦運動があったり、
赤軍の統括事件だとか浅間山荘事件だとか三億円事件だとかがあって。
高度成長期における負の遺産、工業化における公害問題なんかが
たくさん表面化して、社会問題になっていた。
大気汚染、ヘドロ問題、夢の島、多摩川の汚染、川崎病、水俣病、
そして私ももしかしたらその一人になったかも知れない、
サリドマイド児の問題など。


脱脂粉乳なんかは飲んでない世代だけれども、
好景気と言われつつも、ほとんどの人の暮らしはかつかつで、
ブラウン管のテレビはまだまだ高くて、押入れにしまっているとこもあったし、
カラーテレビは珍しく、洗濯機には脱水機はついていなかった。

子供たちは何日も同じ洋服を着ているのが当たり前だったし、
お風呂のない家に住んでいる人もたくさんいたから、
夏だからって、毎日お風呂屋さんに行くっていうこともなく、

ジュースなんて粉を溶いて飲むタイプので、瓶は贅沢で。
ケーキ屋さんに行っても、せいぜい種類は四種くらい。
クリスマスケーキなんて、バタークリームのまずいのしかなく。
甘いもの、お菓子はまだまだ贅沢品だった。
毎日なんて食べれなかったヨ。

お残しはいけません、食べ物を大切に!が、世の中のモットーで。
給食の残りは貴重なオヤツで必ず持って返るし、休んだ人に届けもした。

イジメは確かにあったけれども、
女の子同士のはせいぜいシカトして、
グループからハブにする程度。
男子だって、からかったり、酷い言葉投げかける程度で、
今みたいに陰湿なものではなかったよう思う。

親の折檻、体罰当たり前で、
学校の先生にゲンコツで殴られたり、バケツ持って立たされたり、
残した給食を食べるまで赦してもらえなかったり。

悪さをして親に叱られた子が、庭木に縛られて、
「お母さん、ごめんなさーい、もうしません」なんて、
泣き叫ぶ光景だって、近所では珍しくなかった。

誰もそれを虐待とは思わず、
「あの子、また怒られてる」なんて、
名物よろしく、クスクス笑われるくらいのもので。

子供たちで徒党を組んで悪さをすると知らない人に怒鳴られ、
怒られたり、殴られたりも当たり前で、
そんな時には親だって、菓子折りもって誤りにいくのが普通で。

近所全体が、町全体が子供を育てるって風潮あったし。
悪さをした子に大人が説教したり、罰を与えるのは当然で。
それは自分の子でも他人の子でもそうで。

見知らぬ人から注意されても、恥の概念があったから、
自分の子供を叱ってもらえたことに、感謝して御礼を言っても、
クレームしたり逆切れするなんてありえないことだった。

大人だって年長者の人から怒られたら、素直に謝ったし、
人を立てるとか、敬語を使うとか、挨拶をするとか当然で。

おっぱいポロりんちょだして、赤ちゃんにミルク飲ませる光景も
当たり前だったり、珍しいことではなく・・

近所の犬がほえても、苦情をいう人はさほどなく、
むしろ番犬として泥棒よけになってくれていることを感謝したり、
誰かんちの飼い猫が庭に入ったり、自分ちで粗相をしたり、
屋根の上で寝てたって、気にする人もいなかった。


もっと他人のことに対して寛容で、おおらかで、
「しょうがない」とか「おたがいさま」とか、
相互の精神ってものがあったように思う。
何でもかんでも他人のせいにすることはなく、
潔くあきらめて受け入れて、それでも前向きだったあの頃。


そんな状況から、あれよあれよという間に、
気がつけば、めちゃくちゃモノがありふれた、リッチな国になった。

ホント、あっという間。
一年ごとに、秒刻みか分刻みかってくらいに、急激に、
信じられないくらいの速さで、日本は変わっていった。

私が住んでいた町は県庁所在地だったけれど、
当時はまだまだ田舎。
某大手製鉄工場のおかげで発展し、
同級生たちの親はほとんどその工場の勤め人の地方出身者。
首都圏ドーナツ化現象で、地代が高くなった東京から
土地を手放して移住してきた人も少なくなく。
工場は毎日のように煙を吐き、24時間眠らない町だった。
朝昼となく、港に寄港する汽笛の音。
製鉄の釜のおかげで、真夜中でも真っ赤に燃えている空は
日本の未来を現しているようだった。
そして同級生たちの中には光化学スモッグの影響か、
気管支喘息か呼吸系疾患を患っている人が多かった。

子供の頃、ザリガニやタニシを捕って遊んだ田んぼ、
駆け回った野原、野草を取ったり、花の蜜をすすったり、
自然と触れ合った景色は、
あっという間に埋め立てられて住宅になっていった。


学生時代は校内暴力まっさかりの時代で、
毎日が刺激的だったりした。
私の場合、とくに荒れた中学に通っていたので、
それが当たり前の日常にあっては、とにかく退屈しなかった。

その頃にも不登校の人はいたけれど、
なんていうか、みんな若いエネルギーをもてあましていたというか、
外に不満をダイレクトにバクハツさせることで、
発散したり、解消していたように思う。

(私も見た目は地味でダサイヲタだったけれど、
 攻撃的な性格だったもので、
 盗んだバイクで走り出し・・はしなかったものの、、、
 学校ではクラスメイトに便乗して先生らに反抗してたし、
 成田空港建設反対のゲバやってる連中と、
 受験帰りに大喧嘩やったりなんかしたなー)


船橋ヘルスセンターや谷津遊園はあったけれども、
ディズニーランドはまだない時代(笑)

女子は上着を短くしてスカートをいかに長くするか工夫して、
男子はカラーを長くして、短ランにするか長ランにするか、
そして男女とも、学生カバンを頑張ってペシャンコにして、
その代わり、マディソンスクエアガーデンのバッグに荷物をいれ、
聖子ちゃんカットだのリーゼントだの、みんな同じ髪型をしていたり。

そして、社会人になってからは、バブルを経験。
バブルの狂気乱舞は高度成長期の時代なんて目じゃなかったり。
ほんと、クレイジーな時期であった。
(バブルの時代の青田刈りはすごかった)

子供の頃は
「巨人の星」の星飛雄馬のつぎあて服や
「あしたのジョー」のドヤ街の世界だったのに、
大人になってからは札束が飛び交う世界に。

コンピューターなんて、
初期の「ルパン三世」に出てくるみたいに、
部屋いっぱいに置かれた、とてつもない巨大な機械だったのに、
たった数年でとっても小さい計算機ができて、
産業革命以降の、あの長い年月はなんだったんだろうって位に。


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でも、確かに・・・
みんな滅茶苦茶やっていたけれども、
友情というか、人間関係は熱かった。

「飛び出せ青春」とか「われら青春」「俺たちの旅」とか、
梶原一騎に代表されるような熱血スポコン漫画とかを見て、
「根性」だの「忍耐」だのを、
サブミナル的に刷り込まれた世代のせいだからなのか。

良くも悪くも、みんなはっきりしていたと思う。

もちろん、すべての人がそうだったわけではないけれど。


なんていうのかな。

私の世代だと、同級生はとっくの昔に管理職で、
イマドキの若い世代を教育したりする立場になる人も多いのだけど、
なんていうかー

最近の新人君たちの、キテレツな行動に、
あごが外れるほどにびっくりさせられることは多い。

まあ、聞いた話になりますがね。


「えっ? そんなことで?」

っていうようなことで傷ついて欠勤したり、
それってちゃうでしょ?ということを
モラハラだのパワハラだのと騒ぎ出し、
わけのわからないことを言い出す。

仕事ができないを通り越しているというか、
著しく想像力が欠如していて、考える能力がないというか・・・

いつだって、新社会人って、「ヲイヲイ」な生きものだけど、
ここ数年のは、まったくもって信じられないレベルなほど、酷いらしい。

日本人のレベルが低下しているというか何というか。

単なるジェネレーションギャップだったらいいのだけれど。

保育園を経営している従姉からも聞いたけれど、
若い世代の母親たちのクレームも「??」らしく、
昔では考えられないことばかりだという。


確かにね。
私たちの時代では当たり前で常識だったことが、
いつのまにか若い世代の間では非常識になり、
通用しないというか、なんかヘンだなって時代になってきました。

なんてか、段々とカルチャーだけでなく、
訴訟大国ってとこまで、アメリカナイズされてきたよ、日本。

確かに戦後、豊かなアメリカに憧れを抱いて、
アメリカのホームドラマに出てくる家庭や生活をモデルかつ目標に、
頑張ってきたのが、我々日本人だけれども・・・

ヘンなとこまでが、似てきちゃったかなあ、って。

かつて日本という国にあった良さ、
日本人が持ってた豊かな精神性や美徳が、
失われつつあると思う今日この頃。

そう感じるのは年をとったという証拠でしょうか?

「三丁目の夕日」(実は見たことがないけど)ではないものの、

あの時代・・昭和の時代には人間関係は暖かく、
人々は謙虚で、人情にとても厚かった。

そして人々はもっと勤勉で実直で、頭が良かったし、
想像力も豊かで、何よりも努力家だった。

その昔、日本はたしかに貧しかったけれども、
人の心は今よりも豊かで、生き生きとしていた。
助け合いの精神も生きていたし、モノも大切にしていた。
礼儀正しくて、モラルに忠実だった。

なんかいつから、こんなヘンな国の
ヘンな国民になっちゃったんだろう?

もちろん、よくなったことも多いし、変わらないこともあるけれど。
その昔だって、よくない悪習だとか、悪いことはたくさんあったし。

でもね、なんかなーって思う。

モノにゆとりは出たものの、
人の心がギスギスしているというのか、
おかしなことにトゲトゲして、協調性なく、自己中で
自分さえよければって人が大量に増えたような気がします。


どうしちゃったんでしょうね、日本人は。

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