「親しき仲にも礼儀あり」とも言う。
馴れ合いになると、
まるで相手を自分の一部のように思うのか、
さも相手のすべてや心の内を熟知したかのように錯覚してしまって、
「あの人ならわかってくれるだろう」
「このくらいしても許してくれるだろう」
・・・という、一方的な甘えが生じがちである。
こういう場合、
双方ともの間に揺るがない、絶対的な信頼関係が存在している
・・・と思い込んでいるのは
得てして上記の甘えのあるほうの、
他人に対する過剰な期待でしかなく、
相手に常に自分のすべてを受け入れてくれること、
すなわち「許し」を期待しているだけだったりする。
信頼と甘えは同意語ではないので。
本当に相手のことを、その人との関係を大切に思っているのなら、
自分が理解されるよりも、相手を理解しようとするものである。
自分の都合を押し付けるのではなく、
相手の都合に対して、配慮をしたり、
迷惑をかけることを申し訳なく思うものである。
愛とは理解であるが、
「わかって欲しい」という一方的な要求、
期待は・・・誤解以外のなにものでもない。
男と女の間では、それは顕著だ。
愛とは理解することであるが、
恋は誤解そのもので、誤解から始まるものといっていい。
愛は真ん中に心があるから真心、
恋は下に心があるから下心と人の言う
だとすれば、誤解は下心から来るものであるとも言える
恋は熱病で、ときに錯覚を生じさせ、
押し付けがましいものであったりもする
αβцΘαβцΘαβцΘαβцΘαβцΘαβцΘαβцΘαβ
とはいうものの、
今回は恋愛のハナシではありませ~ん。
まったく違うハナシだったり。
以前、私がペットロスに陥ったとき、
メンタルを立て直すため、
近所のボディケア専門の治療院へと足を運んだりなんかした。
(そのときはアロマトリートメントを受けた)
そして、そこで出会った鍼灸師の人のサービスが気に入り、
彼女の技術の確かさや心地よさもあって、
随分長い付き合いになり、
ときにプライベートでもご飯を食べに行く、
ウィットにとんだ、親しい関係を築くことになった。
けれども、
気安くなるにつれ、問題も生じたりなんかして。
その人はボディケアをあくまで「治療」として考えていて、
納得いくまで、お客さんの身体をほぐし、状態を改善しようとする。
お客としては、そういう仕事熱心で誠実な姿勢はとてもありがたく、
そのような人に出会えたことは希少価値のあることなんだけれども。
予約の時間に行っても、
先のお客さんが長引いていて、かなり待たされたり、
その後の予定変更を余儀なくさせられるのは、ちょっと困るなー
というのもあり。
でもまーそういうところだから、と思えば、それはそれでさほど、
目くじら立てることでもないんだけどもね。
受けられる恩恵のほうが、自分には得だと思えるのであれば。
でも、
「今日は治療代いいんで、その代わりに相談に乗ってほしい」
みたいなことになってくると、話が違ってきてしまう。
物々交換といえば、もっとも原始的な取引ではあるものの、
それは交換する商品が、等価交換できるものであることが条件で。
そこで私が受ける(申し込んだ)サービスの代金と、
私が私の仕事として、提示しているメニュー価格が、
一致していれば・・・なんだけれども。
そうではないから。
こういう"申し出"を受けるのは初めてではなく、
実は、別の人から、その人がかなりの低価格で提供している
サービスのお礼として金銭を払おうとしたところ、
その代わりに私が提供しているサービスを受けさせて欲しい・・
という申し出を受けたことがあったりする。
ケタの違い、差額のことはなしに。
お金がどうっていうより、
なぜだかとても残念で、がっかりさせられたものだ。
まあ、でも・・・見方を変えれば、
私がその人のサービスの価値を提示されている金額のままに、
過小評価してしまっていたという傲慢さを持ち合わせていただけで、
その人は自信を持って、同等の価値あるいはそれ以上のことを
提供してくれていたのだろう。
で、話は戻って、
施療中、気がつけば、何気に私の「能力」を期待されるような質問とか、
そういうのが出てきてしまったりはやはり好ましいことではなく。
お互いプロであるなら、
仕事として受けるなら、自分の仕事の場(時間)と、
それはそれできちんと分けていかないと、無責任になると・・・
また時間のこととか、
仕事でお願いしているのに、こちらの都合も考えず、
平気で当日に、この人なら大丈夫とばかりに、
予約しているのにも関わらず、その前にお客さん入ったんで、遅れます・・・
など。
それまでは、
鍼がとても苦手な私が唯一恐怖心を持たないやり方をしてくれて、
この人以上に腕のいい人を見つけるのも大変だし、なぞと考えて、
ある程度は大目に、「まっ、仕方ないか」とスルーしてきたけれど、
自分も、お客さん相手に信用第一のお商売をしている身で、
相手のプロ意識の緩みと欠如、お客さんに対する甘えを赦すのって、
こういうのを赦すのって、どうなんだろう?・・・と。
業種は違えど、こういうのは本来あってはならないことだし、
その人のルーズさを認めるのは、
自分もお客さんに対してルーズであっていいと、
誠実ではないお商売のやり方を認めてしまうような、そんな気がして、
ある日、お客として抗議をし、怒ることに決めた。
それが相手のためにもなれば、一番いいことなのだけれども。
結局、それを機に私はそこに通うのを止めてしまったから、
その状況がその後、改善されたかどうか、知る手立てがなかったり。
自分の健康を維持するためには、
勿体無いことだったかも知れないけれど。
αβцΘαβцΘαβцΘαβцΘαβцΘαβцΘαβцΘαβ
人間関係の距離の取り方、というのは難しい。
腹六部目が一番いいとは知っているけれど。
私のことでいえば、
私はどうしても、その人の何が「問題」であるのかが見えてしまうし、
霊媒として、ガイドさんたちが訴えていることをキャッチしてしまうから、
仕事の場で、相手がクライアントさんや生徒さんならいいけれど、
友達となると、あれやこれやついつい言い過ぎてしまうのが、困りもの。
そこを期待されて関わられるのもイヤだし、
過去にそれで散々イヤな思いもしてきたわけで。
でも、相手の問題を見て、
それを指摘してしまう状況をどうしても避けることができないのだと、
そう悟った最近は、なるべく会わないのが互いのためだと、
壊したくないなら余計に。
近すぎるのは良くなく、
とにかく距離をおけばおくほど、良いのだと。
たぶん、余所余所しいくらいがちょうどいいのに違いない。
そんなこんなで最近は孤独にすっかり慣れてしまった。
けれど、寂しくはないけどね。
大事なのは、相手の幸せを願う心。
『側にいて、抱きしめるばかりが愛じゃないのよ、
遠くから、そっと見守るだけの愛もあるの・・・』
とは、セーラープルトーのセリフだったか。
人には、その人にあった関係の築き方というものがあり、
ちょうどいい他人との距離間というのがあったりする。
これは人それぞれ。
中学からの親友だったけれども、
私から連絡を断った友がいる。
彼女は地元から離れたところに結婚して住んでいて(旦那の地元)、
もう長いこと、そこに住んでいて、子供も大きくなったのに、
地元の人となかなか打ち解けようとはしなかった。
これからもそこに住むと言うのに。
「友達は、○○(私のこと)がいればいいよ。他の人は信用できない。
○○一人が私のこと判ってくれていれば・・・」
彼女の閉鎖的な言葉を聞いて、私は絶縁を決めた。
精神的な拠り所にしてくれるのは嬉しかったが、
その為に排他的に他の人を自分の世界から締め出して、
他に友達を作ろうとしないことに対し、
私が出来ることって、突き放すことしかできなかったから。
それがベストだったのかどうか・・・・
彼女が、地元に新しい友人関係を築くことに貢献できたのか・・・
私にはわからない。
縁が切れちゃったその鍼灸師の人とは、
なあなあになる前に、境界線をはっきりとして、
相手の好意に甘えすぎることをせず、
こちらのほうがお客さんとして、キッパリと、
もっとちゃんと早い段階でクレームを入れたりとかすべきだった。
「しょうがない」と馴れ合いで、
相手を許すことを続けてしまったのがいけなかった。
その関係が良いものになるかならないかは、
自分の対処の仕方というか、対応次第。
やはり自分の問題なんだよね。
相手をそうさせてしまった自分のせい。
長く友人でありたければ、
貸し借りは作らないほうがいいとは、人の言う。
とくにお金の貸し借りは絶対にしてはならないと。
友は数を誇るものではなく、質を誇るもの。
心を開き、信頼している相手だからこそ、
礼節を守り、互いの境界線を守り、
相手の人間性に対して、敬意を払い、
尊敬の気持ち、感謝の気持ちを常に口にして、
自分が悪いことは素直に謝って、
人として対等に・・・馴れ合いにならず、
頼ることはあっても、甘えすぎることはせず・・・
友情と言う名の愛情を大切に育む気持ちで、
相手の存在を慈しみ、
信頼を寄せるからこそ、その人の行動を見守り、
いつでも腹を割って、真実を口にし、ただ誠実であろうとする。
人生で、そんな大事にしたい関係を見つけるのは至難の業。
だからこそ、かけがえのない人に出会えたならば、
一生のうちにそうは出会えない、そんな友情を手にできたならば、
それが宝物であると・・・・
お金には決して換算することのできない希少なものであると、
人は知るべきなのである。
でも、だからこそ、
双方にとって心地の良い関係を続けようと思うならば・・・
友情を大事にしたいと思うのであれば、
お互いにとって、ちょうど良い距離をはかり、
持ちつ持たれつ、依存しすぎることなく、
その関係が双方に負担にならないように、
人間関係のマナーを守って、礼儀を尽くすことが肝心になってくる。
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