2015/11/04

お礼参り

・・・と、言うと、

「卒業式でお世話になった先公をフルボッコしにいくこと」

という方を連想してしまう校内暴力世代なのでアリマシタっっっ汗

ナンノコッチャ



3月から短期の職場に勤務しているのですが、
(そのハナシはまた別の記事にて)
ふつーに朝起きて職場に行き、仕事して、
仕事の合間やランチタイムなぞに皆とたわいの無い話をし、
同世代の気安い雰囲気の中、
それなりにオバサン臭くしてワイワイがやがやかしましく、
疲れたーと喚きながら、時に文句ぶーたれ慌しく、
通勤の波に飲まれ、買い物して、うち帰ってご飯食べて、
ネットだらだら見て、ひと息ついてティータイムしてほっこり
そんな風な繰り返しの日々に埋没しつつ、
たまの休日をまったりと過ごしていますと、


スピリチュアルとか、目に見えない世界のこととか、
ここのブログに書いてあるようなこととか(書いてるのはアテクシ)、


なんか、どうでもいい


って、思っちゃいます。

時おり、アホくさいというか、うそ臭いというか、
我ながら、「だから何ー?」みたいな・・・

否定とか肯定とか、信じるとか信じないとか、そういうのではなく、

「だから、どーした!」

というように、何もかもがバカらしくなるときがあるのです。

ふつうに働いて、日々過ごして、美味しいもの食べて、好きなことして、
それでいいじゃん・・・と思ふ。


霊とか、あの世とかこの世とか、ガイドだのマスターだの、
前世とか来世とか輪廻転生とかカルマとか、
霊的成長とかミッションとか進化とか使命とか、
そんなんたかかんたか・・・

はぁ? なんですかー?

イヤ、私知らんし。というかー

もう、好きにして・・・みたいな気分。


そんなの、もお、どうでもいいよ

になる。


でも、猜疑心とも投げやりとも違いますね。

今までのはぜんぶ幻つーか夢で、
すべて気のせいで、妄想とか作り話とこじつけなだけ。
集団幻覚なんじゃないの???

と思ってしまう自分が必ずいます。

それが現実なのか夢物語なのか何なのか、
分析することすら、煩わしい。

いやさ、過去にあったことは本当だとしても、
仮にそれが真実だとしても、





何が現実なのかもうよく判りませんけれど。
現実が嘘なのか、虚構が真実なのか・・・。
自分は相当な気狂いで、
私はそうした自分の虚言、妄想に、
お客さんをはじめ生徒さんにしても周囲の人にしても、
引きずり込んで、巻き込んでいるだけではないのか?

・・・とも
疑問を抱くことも昔から間々あるのですが。



私はただのふつーのオバサンで、
巷で活躍する、サイキックな人たちとはまったく違うわけで、
なんの力もない堕落した一般人なんですから、
こうしてOL(と呼ぶにはムリのある年齢)やってるだけの、
ホントにふつーの人なんですから。
平凡に毎日送りたいだけなんですから、

もう、このままでいいじゃん!

見ざる聞かざる言わざるで、平穏な暮らしだけ楽しみたいなあ、と。





とはいうものの、先日 伊勢神宮と熱田神宮に行ったとき、
(ふつうの観光です! キッパリ)

やっぱり、

あー うー ・・・・

っていうことなんかに遭遇したりすると、

 
うむむむむむむむ

って思ってしまいます。

ここには書きませんけど。




ええ、もちろん いい旅行でしたよ。
食べ物もとても美味しかったし、タイミングも良かったし。

伊勢はやっぱ感謝に行くとこなんだなあ~って実感したし。



とにもかくにも、それで一体自分に何が出来るのか・・・って、
悩みというよりは、それが勘違いや思い込みだったとしても、
幻覚や妄想だったとしても、

それをゲームと捉えて楽しむしかないのだろうな・・・と、

思ったりするのであります。

そうね、バーチャルな壮大なるシュミレーションゲーム。
例えていうなら、
アーミールック(迷彩服)着て、オモチャの銃もって、
山で戦争ごっこつーか軍隊トレ?(なんていうんでしたっけ、アレ)
をしているような、そんな遊び・・・みたいな感じで。

妄想脳内トレで、仮想体験的に。
スピリチュアル世直しゲームのような、
そんな遊びがあってもいいと、いいわけをつらつらとしながら。



とにもかくにも、松阪牛は美味しかったっっ。

そして赤福も味噌カツも。

でも、赤福は単身者用に
三個とか四個要りも都内で売って欲しいと思ったのであったっっっ
(伊勢では三個入りパックあったよー)


食い意地はってますナー

でも、食を楽しむことは人生を楽しむことに通じるのであります。

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