2015/11/04

春来たりなば夏遠からじ

書くべきことについては、ノルマ?というか、なんというか、
まあなんていいましょうか、ちょっと電波になっちゃいますが、
ご指定のリストがあるんですけれど、
時間も含めて、私の集中力と気力(やる気)がないことには・・・

ですかね~。

「書かなければならない」という状況は微妙にプレッシャーあるし、
仕事でもないのに、なんでやねん!・・・で、現実逃避したくなります。


で、今回リストから外れて、閑話休題な話題。

どうでもいい独り言です。


先日、某所で開催された、
とある座禅の会に参加させていただいたりなんかしました。
(ものものしい警備のとこです)

そこでご一緒した方が、
まだ二言三言しか話していないというのに、

「あなたは、
今まで経験してきたことやなんかを、
本にして出したほうがいいね・・・」

なんていきなり。

会食の場になったレストランの、
ゴージャスリッチな装飾その他にすっかり上がっていた私は、
「あ、いやー そのー文才ないんでー」

なんて訳判らない返答をしたりして(話噛みあってません)。

いやその、「職業は?」と聞かれて、

「失業中の派遣OLです」って答えてたわけですしー
私みたいな胡散臭い職業の人間としては、
なんとなく憚ってしまうわけです。
こういう職業の人間が出入りするのは申し訳ないというか。

なのでふつーの派遣OLで通す・・・と。

OLにしてはオバサン過ぎますが(笑)



まあ、でも確かに、このブログを始めようと思ったきっかけが、
まさにそれでしたけれどもね。そんなことをふと思い出しました。

占い師時代からも含めてヒーリングの仕事を通して、経験したこと、
現場で知りえたこと、私が蓄えてきた知識を、
それが役立つ人、必要な人に伝えたいなぁ、と、
また、運命の不思議というのかな・・・
魂の歴史、その変遷のドラマ、
因果応報として片付けられやすい転生の歴史と背景にある理由とか。
霊的真理も交えて、読んだ人に自分にあてはめて考えてもらったり、
いろいろと気づきやら触発やら、何かを考えるきっかけを与えられたら・・・

なーんて、考えて。

ああ、あと。私のしている仕事がどんなんか、
言葉で説明するのがとてもめんどいというか、困難があるのので、
読めば判るよ的な小冊子を作りたいとも思ってたんだけど、撃沈。

最初は本にまとめたいと思ったものの、
私の性格からして、本の企画を出版社に持ち込みするのは×だし、
かといって自費出版するような予算もないし・・・
それ以前に、人が読むのに耐えうる、
一冊の起承転結ありの本としてまとめる構成力が皆無なんで、はい。

そんな私でも、簡単に始められるのがブログだったわけで。
ブログは、好きなようにダラダラと、適当に書けますからね。
文才も構成力もなくても。
誤字脱字あっても、誰からも文句来ないしー
勘違いや思い込みで書いてるかもしれないこととか、
知識の誤りなんかも、突っ込みこないから。
更新が滞っていると、「早く書いて!」といわれるくらいで。

お金もらってる仕事じゃないから(笑)


商業的なライターさんだったり小説家さんでないから、
いいんだよねーといいわけしつつ。

以前、占いだのおまじないだの、お金もらって書いてたときには、
ああ書いてください、こう書いてくださいとか指示されても、
理解力がないので、さっぱりわからず、しんどかったです。
連載持ってたときは書くことが嫌いになり、苦痛になってたし。
向いてないことはやるべきでないとつくづく思いましたヨ。

心の思うままに書くのが、一番楽しいし、ラクなんですよね。
でないと、書くことが拷問になってしまう。


でも。。。このブログ。
ちゃんと伝えたいこと、伝えられているのかなあ・・・
読んで下さっている人の胸に、
人生の気づきや感慨を与えることが出来ているのかなあ・・・
それぞれのクライアントさんたちの人生の重み、
魂のドラマの中から、ヒントや学びを得られるような、
言葉と文章できちんと綴ることが出来ているのかしら?

私ごときのつたない表現力で台無しにしていないかしら?

って、思ったり。
しょうがないですね、こればかりは才能ないんで。


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さてさて
あんまし悩まない私が、ちょっと考え悩んでいるときに
ガイドさんつーか上司からもらった今日のお言葉。


指揮者になるには、あらゆる楽器に精通していないといけない。
でなければ、それぞれの楽器のパートを理解することはできない。
だからといって、
指揮者が有能な演奏者である必要はない。
逆に指揮者自身が、秀逸し、抜きん出た演奏家であったなら、
指揮者以上になれない演奏者は萎縮するし、
指揮者も自分以上のものを相手に求めて、ハードルを上げすぎてしまう。

だから、指導者たるものが、唯一無二の演奏家である必要はない。
すべてに精通している技能と知識があればよいのだ。

でなければ、自分以上の演奏家を育て上げることなどは出来ない。

指揮者は指揮者として、有能でありさえすればいいのだ。

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