2015/11/01

2013 レポートNo.8 「Y・Hさん」

1年を振り返って


自身のことでいえば変わったかもと思えること、
気がついたかもと思えること、一進一退を繰り返していると思うこと、
まだまだだなと思うことなど、いろいろある。

変わったかもと思えること。
現在のスクールの形式、クラスメイトになれてきたこと。
未だにスクールに参加してよいのだろうか、
迷惑になっていないだろうかという不安はあるが、
当初に比べるとかなり解消されていると思う。

これは、自分に自信が持てない、
自分を認められないという自身への自己評価の低さにつながっていると思う。
しかし、こういったことは、自分ばかりでなく、
クラスメイトに対して大変失礼であることを教えてもらった。
自分を認めよう、自分を少しは認められるようになったかなと思うこともある。

しかし、些細なことでつまずき、
自分を認められない自分に戻ってしまうこともしばしば。
どうしても他人と自分を比べてしまい、自分は劣っていると思い、
短所にばかり目がいきがちだ。誰にでもその人の個性、
よいところがあると頭ではわかっているつもりが、
自分に対しては見つけられず、
わたしにはないのだろうと思ってしまう。

気づいたかもと思えること。自分を認められない自分。
人との関係を築いていくのが課題のひとつであるということ。
他人とのかかわりがなくては自分は成り立たない。
それにもかかわらず、他人との関係をおざなりにしがちだ。
クラスメイトからは
人との関係の築き方を教えてもらいながら(盗みながら)、
スクールではその練習の場を与えてもらっているように思う。
楽しむこともまたひとつ。
未だに自分が何をしたら楽しいのかよくわからないが、心がけ次第で、
その場を楽しいものにもそうでないものにもできるのではないかと感じている。

自分の気持ちに素直になって、自分の気持ちに気づいてあげること。
自分の気持ちは自分にしかわからない、他の人からは気づいてもらえない。
思い込みを解放し、抑え込んでいた自分の素直な気持ちに気づき、
それに従ってみることが必要だと感じた。
本当にこれが自分の気持ちかどうか疑わしいこともあるけれど。

わたしは自分の気持ちらしきものに従ってみたところ、
以前から興味はあったものの最も抑え込んでいた、
美術にかかわることがしたいという気持ちに気づいたように思う。
美術を学べる機会を得て、それなりに楽しくできたので、
やってすっきりしたという気持ち。

ただ、本当に美術に興味があるのか、未だに疑わしい。
両親に対する気持ちも、
自分の気持ちに素直になることで認められるようになったこと。
美術への思いと同様、かなり長い間、抑えに抑え込んできたものと思う。
両親への気持ちはやっと認められた段階で、
これをどう解放していったらよいのか今はわからない。
変わったかも、気づいたかもと思えることは、
一進一退を繰り返していると感じる。
あせらずに、自分のペースで前進していくしかないのだろうと思う。

まだまだと思うことは、変わったかも、
気づいたかもと思えることと重複するように思う。

自分を認められないこと、自分が何をしたら楽しいかよくわからないこと、
どうしたら人に楽しんでもらえたり、
役に立ったりすることができるのだろうということなど。
どれも自分を客観視できていないことに通じていると思う。
何が必要なのか、何をするべきなのか。自分がどうなりたいのか、
それ自体がよくわらからない。ここにも問題があると思う。
なりたい自分という目標を持つことが必要不可欠なのだろう。
また、スクールでのエクササイズなどでの発言は、罪悪感がある。
自分が未熟で申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

クラスメイトの変化。皆がそれぞれ変化していると感じる。
しかし、自分のことに精一杯で、
ここがこう変化したと具体的にあげるのは難しい。
それぞれが的確に物事を捉え、きちんと言葉で表している。
捉え方、表し方が以前と比べ断然進化している
(ここでもクラスメイトと自分をつい比較していまし、落ち込む)。
感心させられるばかり。

未熟ゆえ、レッスンについていけているのか、
まだこのような場で学ぶのは早かったのではないかと感じることも多い。
しかし、参加することを許される限りは参加するつもり。
そして自分をみつめ、自分をきちんと知りたいと思う。
アルマさんという先生がいて、
一緒に学んでくれるクラスメイトがいることにいつも心から感謝している。

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