2015/11/04

人生に無駄なし(前半)

以前、とある人に、

「普通の人は、
 もっと安い賃金(時給)で働いているんだよ。
 あなたが一回二時間でもらうお金は、
 私の二日分の日給なんだからね」

と言われたことがある。

さらに、それだけ稼ぐのにどれだけ大変か・・・
なーんて、ことも言われたりなんかして。


確かに私の仕事で得る収入を、
セッション料金から時給で換算したとき、
一般的な時給相場よりは確かに高かったりするから。
楽して稼いでいるように見えるのでしょうね。

でも、技術を得たり、スキルを磨くために投資した分もあるし、
ポテンシャルを維持するためにしている努力とか、
色々とかかる必要経費は決して安くないんですけれど。
表面的な部分のみ問題視している人に、
そのあたりを詳しく説明してもいた仕方なし。


その人は、私の仕事のことを、
例えばレイキのアチューンメントを受けたりさえすれば、
簡単に開業できる仕事だと思っていたらしい。

うん。受講することも開業も、誰にでも出来る。


受講してサイトを立ち上げたある人曰く、

「全然依頼が来ない」

と、ボヤかれていた。

そりゃそうだ。

お商売なんて、そんなに簡単なものではない。

サイトを創るだけで、集客が見込めるなら、
何処の誰もがいともたやすく自営業を成功させているだろう。


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で、何がショックだったかというと、

対して苦労もせずに、楽して儲けているように言われたことというより、
たった時給900円、1000円のお金を稼ぐことの労働の重みを、
それだけの小額のお金のために必死こいて働いている人の気持ちが、
あなたにはわからないでしょう?

・・・みたいに言われたこと。


しかし、まったくなんで人って、
たいしてその相手を知りもしないのに、
勝手に先入観だけで決め付けるのか。

お金持ち出身の、お気楽に生きている
苦労知らずのお嬢さんとでも思われてるのだとしたら、
嬉しいと思うべきなのかも知れないけど。。。


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私は幼稚園児の時分から中学のときまで、
実家でずっと家事をしていたけれど、
高校に入学してからは、ようやくお役御免に。
なぜって、学費と定期代を稼ぐため、
アルバイトをしなくてはいけなくなったから。
(といっても、完全に家事から解放されたわけではなかったが)

入学前の春休みから、もう。せっせと・・・


初めて働いたのは、ラーメン屋。時給500円。
皿洗いという話だったけれども、カウンター越しに接客・レジ・給仕など、
その他餃子を焼くなどの調理補助もあって、とにかく大忙しだった。
油汚れが酷いから、熱いお湯に洗剤の原液を入れて、
接客などと併用してだから、手袋使う暇もなく、手の皮がよく剥けた。


次に働いたのは、駅ビルのとんかつ屋。時給430円。
ここは姉のピンチヒッターでほんの少しの期間だけのヘルプ。
イジワルな人たちが多い職場だった。


結構大きな中華料理屋では、宴会のシーズンが稼ぎどきだった。
時給は480円だったと思うけど、高級中華の店だったから、
お客が食べ残した高級食材をつまめることがラッキーだったかな。
北京ダックとか、ツバメの巣とかとか。
ウェイトレスだけではなくて、皿洗いとか、お燗をつけたりとか、
まあ、なんでもやるわけですよ。
裁判所や県警や消防署とか教育委員会とか、
かなりのおえらいさんたちが宴会するとこだったけど、
堅い職業の人ほど、助平で分別がないってこの仕事で知った。
チャイナドレスのスリットから手を入れられてスカート切られたり、
笑いながら頭なぐって逃げるけど(相手ヨッパだから)、
気分はサイテーであったかな。
先輩なんか空いている個室に連れ込まれそうになった人いたもん。
単なる飲食店で水商売じゃないっちゅーに。


○ンタッキーでもバイトをした。
募集では時給500円だったのに、蓋をあけたら450円で、
でも、高校生って、そこであきらめちゃう。
けれど、店長のバイトに対する差別とイジメがあまりにも酷くて、
ぶちキレてやめてしまった。
どんなイジメかっていうと、勤務中に水を呑むなとか、
火傷をしても手当てをすることを赦してもらえないとか。
水に関してはあまりにも耐えられず、
トイレの水を呑んでいる子もいた。
たぶん、その店長の個人的な歪みだったのだろう。
本社にクレーム入れればよかったんだろうが、
高校生ってそういうのあんまし智恵も頭もないからね。
そこを見据えて、高校生ばかり雇っていたと思われ。


生協でのレジの時給は400円だった。
最低労働賃金より20円ほど低かったが。
(当時の話で今はそんなことはないと思う)


大手パン工場のバイトは日給が4800円だったかな。
それでも美味しいバイトだった。
朝の8時から夕方5時まで、一日中立ちっぱなし。
お昼代を節約するために無料のパンばかり食べて。


ケーキ屋でも販売のバイトしたけど、
繊細なケーキを扱うには私は無骨すぎたようだ。
そこは一週間しかもたなかった。


移動でのパン販売もやった。これは日給4200円。
社員の人と組むんだけど、良い人だったし、
楽しいバイトではあった。でも残念なことに短期だった。


配達所のお中元のアルバイトもした。
伝票整理とか荷物の仕分けとか。
真夏だったので、体力なくて、何度か倒れたかなあ。
時給は480円だったかと。

デ○ーズのバイトは高校生の仲間がたくさんいて楽しかった。
時給は450円くらいだけど、昇給もあって。
卒業まで働いたトコだし、卒業してからも遊びに行ったなあ。
マネージャーがセクハラで困った奴だったが途中で左遷されたり。

上記以外にも焼肉屋とかその他モロモロ。
なんか高校生のときから、
バイト先をよく変えていたような気がする。
転職グセはこのときについてしまったのかも知れないっっっ。


時給に関しては、当時のものだから、まあ安い。
でも今の時給に換算しても安いほうだったろう。

それでも高校生の働けるところって少ないから、
仕方なかったんだよね。

学校の帰りと土日祝とバイト三昧で、
それだけ聞くと苦学生って感じもするけど、
勉強は全然してないし、学校には寝に行ってて、
バイトで知り合った仲間なんかと
仕事帰りに飲み歩いて、ディスコ行ったり、
遊んだりもしてたから、ハイ。

でもまー 当時は若いってだけでちやほやされるから、
だいたい奢ってもらえるので、お金は使わないで済んだけど。

あ゛ー 今考えると、未成年のクセに・・・ですな。


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アルバイトは、専門学校時代の一年間でもたくさんやったかなあ。
ティッシュやチラシ配りとか、アンケート調査とか、
選挙の電話の仕事とかとか。
ウエイトレスやレジの仕事もしたし、
工場やマネキンさんとか配膳とか新幹線の社内販売とか、
デパートやスーパーの試食販売もやったなあ。
皿洗い、掃除はもちろん、キャンペーンガールやらナンやら。
住宅展示場での案内係とか子守とかもした。
高校のときの友達に誘われて、いいバイトがあると聞けば、ホイホイと。
騙されたーってバイトもあった。
かなりヤバイぢゃん!ってので、逃げ出したバイトも。

会社勤めを辞めた後、フリーター期間を三年間やったのだけれど、
バブルの頃だったから、仕事はもーたくさんあって。
その時にもありとあらゆるバイトをさせてもらった。
中には、こんな仕事もあるんだーっていうオドロキのとかも。

ただ、風俗とかはやらなかった。適性がないしね。

水商売は、一日だけカウンターレディやって、
「あー向いてないな」と辞めて。
それと、ショーパプのクローク係をちょっとだけ。
その時に、お水のおねーさんたちのプロ意識に圧倒されたかな。
はい。勉強させていただきました。
彼女たちは美も磨くし、新聞も読んで話題も勉強するし、
踊りも一生懸命稽古するし、女のお客さんにもきめ細やかだし。
お水の花道すごいぞ、みたいな・・・
裏表のカオの切り替えがね、マジすご。


水商売&風俗専門の金貸しの集金人もしたことがある。
良い意味でも悪い意味でも人生のウラを見る仕事だ。
幸いヤーさんではない、まっとうなとこだったけど・・・
(水商売って、普通のとこではお金借りれないから、
そういう専門の金貸しがいるのデス。)
闇金とも違うしナニワ金融道ではないけれど、
それに近い人生の悲哀を見る機会であった。
人生の中で、あれほど水商売の店に毎日通った日々はない。
行くのは昼間だから、店の人にはほとんど会わなかったけど。
(カギを預かってるので、決まった場所においてあるお金を集金し、
それを確認してノートに徴収した金額と印鑑をば)


ホテルや旅館でも働いたし、製本とか警備員とか・・・
若かったから出来たんだよなあ、と思う。
今はもう二度と出来ないつか、やりたくない仕事もある。


旅館の中居さんは、
お膳を十膳ほど積み上げて、運ぶんですよ、信じられんが。
最初は五段くらいから初めて、徐々に。
それで階段上がるんだもんねー いつ転ぶかヒヤヒヤしました。
そこは東京に来た修学旅行生たちが泊まるんで、
布団敷きとか片付けとかハンパなくしんどい。
問題のある高校とか泊まった日には地獄でしたし。
仕事も大変だったけれど、
中居さんたちが滅茶苦茶個性的で、すごかった。
ヤクザの旦那さんから逃げてて、宿から一歩も出ない人とか、

牢名主みたいなオバチャンとか、明らかに小指ない板さんとか。
土曜ワイド劇場みたいな、そんなドラマみたいなとこだったなあ。


求人情報誌の営業アシスタントの仕事は、
当時としては日給良かったけれど、とにかくキツイ仕事だった。
飛び込み営業に取材、原稿執筆に入稿、配本に集金。
掲載誌を常に持ち歩くので、肩に食い込んで痛かった。
人事の人にたくさん会ったけれども、
言えてるのはみんな嘘つきばかりだということ。
受付の女の子を見ると、人事が判るし、社員教育が見える。
求人情報を掲載したけど、応募がないじゃないかと怒鳴られ、
お金を投げつけられ、罵られたりとかもあった。
掲載してもいいよ、話を聞いてあげてもいいよ、といいつつ、
何時間も茶の一つも出されずに愚痴聞かされたあげく、
しっしと追い払われて、結局退屈しのぎに利用されたことも、
この仕事をしていたとき、
ふと自殺に向ってしまうサラリーマンの気持ちってこんなんかなあ、
なんて思ったりもした。


お金のため、日銭を稼ぐため、生きていくために、
とにかく、出来る仕事は何でも・・・って感じだった。
選んでられなかったもの。
働かないと食べていけないから。
雇ってくれるんなら、もうどこでも・・・って話で。

持病持ちだから、よく倒れたりして、
それで続けられなくなった仕事も多かったけど、
働かないわけには生活できないから、寝てもいられないわけですよ。

たった少しのお金のために、五千円、一万円を稼ぐために、
身を粉にして働くって、この頃に身に染みて経験した。

頭も悪いし、高校さえもちゃんと出てないから学歴もないし、
専門出ての就職先が特殊な仕事だったから転職には不利で。
事務の仕事の経験とかなかったから、肉体労働しか、
それしか出来ることがないと思ってたわけで。

辛いことももちろん、たくさんあったよね。

今と違って、セクハラとかパワハラとかの言葉ない時代。
セクハラなんてあって当たり前で、泣き寝入りも当たり前で。

女ってだけで馬鹿にされたり、怒鳴られたりも当然で。
それがおかしいとされてる時代ではなかったので。

あと、イジワルなお局とか、
デパートなんかだと女の世界というヤツで、
なんじゃこりゃっていう理不尽な階級制度?や待遇もあった。

配膳の仕事をしていたときは、
「士農工商犬猫配膳、お前たちは犬畜生以下なんだよ」
って、いう社員もいたし。
軽井沢のリゾートホテルにシーズンでいたときなんか、
制服半袖なのに、イジワルな指示だされて、
雪の中、灰皿集めさせられたり、掃除させられたり・・・
足引っ掛けて転ばされたりとか、
クチ聞かないとかの集団イジメもあった。
なんか、都会(関東)から来た人間は気に入らないという理由で。
それでも段々と打ち解け、受け入れてくれた人もいたし、
最後の最後にはイジワルな人が帰りを惜しんでもくれたかな。

泣いたり笑ったり、しんどい思いをしたり、身体を壊したり、
理不尽なことにぶちきれたり、悔し涙に枕を濡らしたり・・・
屈辱的なこともいっぱいいっぱいあった。
死にたくなるくらい、しんどいときもあった。
仕事に行きたくないなあ・・・って、逃げ出したくなるときも。


でも、月日が流れた今となっては・・・懐かしい思い出。



様々な業種でいろいろな仕事をして、たくさんの人に会って、
その業界に入らないと、そこで働かないと
見えなかったり判らないことも知ることが出来て、
それはそれで私の財産なのだと思う。


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